身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(19):米じいさんの恋人の手紙の一節を読む;立ち話 行き着く先は 墓の事。1602。2016年2月19日(金)
昨日は晴れ。ざっそう句;立ち話 行き着く先は 墓の事。超老人モードで郵便局と回覧板二件。庭先の花に鶏糞を施している人と立ち話。天気が良いので、立ち話も長くなった。そこで、お墓はどうなるのかという話になってきた。余り、先の事を悩んでいたらきりが無い。その時になれば、何とかなるさ。そうだネ~。で別れた。草丈数㎝だが、ヒヤシンスが芽を出し、小さな花が咲いていた。梅の花も6~7分咲きだった。宅内閑居。資料整理。とは言うが、実は捜し物。やっと、小さな紙片を数枚見つけた。税務署に出しても恥ずかしくない立派な物だ。某政治家からみの怪しげな物に比べれば三桁も少ない。
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身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(19):米じいさんの恋人の手紙の一節を読む
米じいさんへ宛てられた長い手紙の全文解読は難しそうだ。そこで、恋人を探る手がかりになりそうな、一節を拾い出した。そこには、「~先日、とくにご承知ならむが英国ケムブリツチ女子大学師範部部長ヒユウス氏我が校に於いて御話之有り候へば~」とあるようだ。米じいさんの恋人に関する情報がWEB上に見つかるかもしれないと調べて見たがいまだ、手がかりは無い。
WIKIPEDIA「エリザベス・フィリップス・ヒュース。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9)」(このサイトへのリンク)によれば、「1899年、ヒュースはイギリス政府からアメリカで開かれる高等教育大会に代表として出席するよう要請され、翌年11月イギリスを出国しアメリカに渡る。8ヶ月余過ごした後、1901年(明治34年)8月10日サンフランシスコを発ち28日横浜に着いた。」~「1902年(明治35年)2月16日には帝国教育会会長辻新次還暦祝賀会に出席。2月21、22日平河町ウォージントン嬢宅でアリス・ベーコンや津田梅子らを招き外国語教授法に関する講演。27日立教女学校を参観。」~「(明治35年)11月20日深夜から21日未明、日本郵船株式会舎の客船若狭丸で出国。離日後のヒュースは中国、マレー、インド、エジプト、キプロスに滞在して1903年(明治36年)5月末か6月初めに帰国した。」とあり、ヒュースの日本滞在期間は訳1年3ヶ月となる。
米じいさんはこの期間に、手紙を受け取ったと考えられる。「我が校に於いて御話之有り候へば」がどこの学校か興味があるが、WIKIPEDIAにあるヒュースの足跡からは特定が難しい。米じいさんはまだ、学生の頃だろう。1901年11月に群馬県女子師範学校設立が認可されている。伝説では米じいさんの恋人も師範学校の学生と思われていたが、手紙の一節から、女子師範の学生と考える事も可能だ。「とくにご承知ならむが」という言葉づかいからは、米じいさん以上の学力や経験を思わせる。ヒュースが群馬県に来たのかも不明。従って、米じいさんの恋人は他県の女性の可能性も残るのだ。
米じいさんの葬式がキリスト教式で、最近、米国でも教会に関係していたと推定出来るようになった状況から、伝説で米じいさんの恋人と言われている女性も、キリスト教関係者か