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2014年7月2日

2014年7月 2日 (水)

ハトよ 鳴いておくれ:老人の寝言:伊勢崎市街地空洞化の救世主は?

2014年7月2日(水)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 31.0 15:16。最低気温(℃) 19.9 05:10。ざっそう句:太枝が 折れて尚咲く 合歓の花。宅内閑居。一昨日の深夜かなりの大雨が降ったようだ。畑を見ると水が流れた痕が残っていた。オクラの移植はうまく行きそうだ。メロンとスイカの摘芯が気になってWEB調査。自根苗は摘芯不要という説があった。接木苗で生育が旺盛な場合だけ摘芯すれば良いらしい。スイカもメロンもアブラムシの影響か初期成育は余り良くない。ようやく蔓が伸び始めた所だ。ここで摘心しても逆効果だけだろうと思い摘芯せずに決定。メロンの方は葉が白く病変している株もある。除草しすぎるとヒゲが巻き付く物がなくなる。敷き藁もない。適度の雑草も容認だ。人工授粉だけしっかりやれば良さそうだ。来客ありメールのCC:とBCC:の違いについて議論。多数に一斉メールを発信しても受け取った人だけアドレスが表示されるのはなぜか。使っているのが無料ソフトでそういう機能がないだけのようだ。CC:とBCC:の使い方を間違えるとまずい場合もある。BCC:で自分宛にも送ると送信ミスの確認ができるメリットがある。検索も受信フォルダ一つだけで済み楽で便利な使い方だ。

2014年7月1日の天気(AMEDAS)

TAVE= 25.1 NO DATA
TMAX= 30.2 最高気温(℃) 31.0 15:16
TMIN= 20.1 最低気温(℃) 19.9 05:10
DIFF= 10.1
WMAX= 4.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.3(東南東) 19:35
SUNS= 11.5 NO DATA
RAIN= 4.5 NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ:老人の寝言:伊勢崎市街地空洞化の救世主は?

数年前、福島病院に入院中の人を見舞いに行った事がある。容態が良かった時は、色々昔話を聞く事ができた。古老は、色々な体験をしているので、昔のかけがえのない情報が聞けた。うまく聞き取りするには、話す人と聞く人の位相が合う事が必要だ。相手が病人だと尚更だ。

その福島病院が移転し、すでに移転先で業務が行われている。先日、市街地の一部をウォッチングして、福島病院の跡地を見たら、更地になっていた。新聞報道によると、跡地と移転先の市有地は当初等価交換する事に決まっていたが、病院の移転が遅れて地価変動があったのか、売買取引に変更されたとの事であった。前の市役所があった場所に西友デパートが建ち、その西友が撤退しその跡地は現在更地である。その北西近くに福島病院があり、その移転により、伊勢崎の中心街にもう一つ大きな更地が生まれた訳だ。まさに、瞬間的には市街地空洞化は急増した事になる。

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「医療法人 上毛会 伊勢崎福島病院(http://www.fukushima-hospital.com/topics/detail/8/)。」のホームページを見たが、移転に関しては、特別な何の記事も無いようだったが、「伊勢崎福島病院は2013 年7 月に新病院へ移転致しました。」と書かれたpdf資料があった。移転後ほぼ一年となるのだろう。

多分、昔市役所を建設する時、この西友跡地(本町)を市の中心にするという大きな決断があったのではないか。しかし、その市役所も現在位置(今泉町)に移転した。この市役所移転のweb(市役所ホームページを含む)情報を探したが見つからなかったが、伊勢崎市ホームページの「平成17年第3回伊勢崎市議会定例会会議録 第4号(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1356505591022/files/H1706N3Tmain4.pdf)。」にその一部が掲載されていた。

幸い、「伊勢崎市政40年誌」に当時の事が記載されていたのでその部分のみを抜き出して以下に引用する。

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「」内が引用部分 
(1)中沢市長時代:「昭和40年の年頭のあいさつで、市庁舎と総合運動場を建設する方針を明らかにした~(P45)。
(2)下城義三郎(二期目)時代:「市庁舎の新築工事は(昭和42年)4月21日に着工され、庁舎は南中学校の校庭で今泉二丁目。南中学校は8月に統合校舎が完成すれば移転するので、その跡地の南半分が庁舎の予定地であった。なお北半分はバイパスの予定路線である。~(昭和43年)5月末に新庁舎が落成し、6月1日、2日と二日がかりで移転も完了し、心機一転して新市政の取り組みが期待された。~(昭和44年)旧市役所の跡地売却が高崎藤五に決定し、この5月に取りこわしが始まり、跡地に北公民館(名称は後に中央公民館)か北半分の土地に四十六年から建設されることになった。~(P46~47)」
*************************

WIKIPEDIA「西友。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8F%8B)」によると、「伊勢崎店:(1973年(昭和48年)開店[99] - 2009年(平成21年)3月31日閉店[168])」とある。

以上の歴史を振り返ると、中心街空洞化もじわじわと水面下で進んでいたというような印象を受ける。伊勢崎市の中心街にぽっかりと更に大きな空洞が生まれたのが現在の状況だろう。まさか伊勢崎市が跡地を買って駐車場に使うようなみっともない使い方をしないだろうと、市民が関心を持って見守っている状況ではないかと思う。

市が取得する福島病院跡地は、伊勢崎駅に近いという地の利がある。当然、それを考慮して跡地利用の計画が練られていると思われる。ところで、伊勢崎駅の南側の一等地に某スーパーが入る事に決定しているようだが、これもまさかの快挙に違いない。これが本当なら、福島病院跡地が駐車場でも何となく納得だ。それも、貴重な税金を投入した市街地空洞化対策の一つであると否定する事はできない。それじゃあちょっとさびしいが。

かねがね、伊勢崎は特長のない文化レベルの低い街と思っていたが、歴史を掘り起こしてみるとそれが、劣等感による思い違いではないかと最近考えるようになった。すばらしい人・物は個々に挙げれば無数にあるが、それを集約してこれだ!と見せるものが無い。市立の博物館や美術館も無いに等しい。特長があるのは「赤堀歴史民俗資料館」だ。ここに、我が家の近くにあった高山古墳から出土した「鞆(とも)」という弓を引く時に使う装備品の埴輪が展示されているのを見て、千数百年前の自分の地域の姿に夢を馳せる事が出来た。自分達の先人はこんな事をしていた、こんな事ができたという事を学ぶ事は、新しい事にチャレンジする原点になる筈だ。

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伊勢崎市はインターネット美術館(http://www.city.isesaki.lg.jp/internetmuseum/)で、市が所有する「福沢一郎、磯部草丘、森村酉三、金井烏洲」の作品を展示している。これはあくまで、画像であるが、実物を見る事により更に大きな感動を覚えるのではないか。福島病院跡地に美術館を作るのも一案であろう。(追記:念のため拡大画像を見ようとしたがリンクを意識的に切っているようだ=拡大画像は表示されなかった。画像をクリックすると拡大画像が見られると表示しているのに、この始末では表示に嘘があるようで度量の狭さを感じる。ひょっとすると俺のパソコンがいかれているのかもしれないが。追記2:金井烏洲の絵画は拡大画像へのリンクあり。著作権の問題かも知れない。だが、不適切は表示は不親切に通じないか。)

石川泰三は、その都市計画で六間道路を作ったが、当時はぺんぺん草が生えると揶揄されたようだ。しかし、その判断を今間違っていたという人は少ないのではないだろうか。

「愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/02/post-4500.html)。(2013年2月17日日曜日)」

文化庁は、2014年6月23日付けで「報道発表資料2014年:史跡等の指定等(http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/2014062301.pdf)(PDF形式(1.3MB))」において、全国的に注目を集めている「三軒屋遺跡」の調査確認が済んだ正倉部分を史跡に指定すると発表した。

以下はその部分の引用である:「2 上野国佐位郡正倉跡(こうずけのくにさいぐんしょうそうあと) 【群馬県伊勢崎市 】 7世紀後半から10世紀前半まで存続した,大間々(おまま)扇状地西端に位置する上野国佐位郡の役所正倉跡(しょそうあと) 。検出された八角形倉庫 は『上野国交替実録帳(こうずけのくにこうたいじつろくちょう)』に記載のある古代官衙遺跡(こだいかんがいせき)の在り方を知る上で極めて重要である。(文献の記録と一致する 文献の記録と一致する我が国を代表する官衙遺跡 。)

更に、伊勢崎市には、上野国佐位郡郡衙と一体的に形成された考えらるようになった上植木廃寺跡遺跡も近くに存在する。更に多くの古墳も存在する。また最近では、中世の女堀遺跡の解明も進んでいる。これらの遺跡は、伊勢崎市の古来からの姿を明らかにするだけでなく、伊勢崎市の未来を考える上で重要な資産である。

更に、島村には、富岡製糸場と絹産業遺産群を形成する、国指定史跡である田島弥平旧宅(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1357256409465/index.html)もある。

コンテンツになるべき素材は無数にあるが、それらの素材をシステム的に有効に活用する点ではまだまだ改善すべき事が多いのではないか。思うに、伊勢崎に来ても、おもてなしができかつ伊勢崎市の情報を発信できるようなセンター・核となる文化施設が無いようでは困るのではないか。当然、市や関係当局は、100年や200年先を見据えて、福島病院跡地の利用を考えていると思う。駐車場では100年経っても駐車場。そこに、価値ある情報や歴史的遺産・遺物を集積すれば、100年後には人の列ができるのではないか。既に、伊勢崎市はそのような構想を抱いて、美術品の収集をしてきたのではないか。それが、100年後も倉庫の埋め草のまま朽ち果てるのは勿体ないし先人達に対して申し訳ないのではないか。

最近WEB調査をしていて「奥泉栄三郎」という人物を知った。奥泉氏はシカゴ大学図書館(レーゲンシュタイン図書館)の日本研究部門の主任司書で昨年死去された渋川出身の方との事だ。「ツルよ 飛んでおくれ:老人の寝言:アメリカの歴史観(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/05/2014-246d-2.html)。(2014年5月27日(火) )」に関係記事を書いた。北米に移民した日本人のその後の歴史を調べようとすればその資料は日本にはほとんど無い。歴史情報をしっかり握らなければ国際政治でも恥を掻くだけだ。日本が情報貧乏国になるのが最悪のシナリオだ。

西洋では、博物館・図書館を大切に育てているようだ。それが自分達の誇りでもあり存在証明にもなっているのではないか。特にアメリカは、歴史では、その歴史が短いだけあって、世界のほとんどの国に負けるのだが、いつか歴史でも勝つという意識があるのか。歴史にかける執念は見習うべきである。ところで日本はどうか。50年や100年前の事でも気楽に忘れてしまう。その収蔵物が充実すれば自然に人が集まって来る。それがビジネスにつながるかは分からないが、人生パンのためだけに働くのではこの上なくつまらない事にならないか。思うに、自分の地域の事は、自分の地域で一番正確に正しく知れる事が大切ではないか。仮に、伊勢崎市にそのような総合歴史文化センターというような施設ができれば、全世界に伊勢崎市の情報を発信できるだけでなく、小中学校の生きた学習教材として活用が出来、30年後には、いっさきとゆう~所は何も無いと卑下する市民も少なくなるのではないか。更に、日本中・世界中から見学者が集まるのではないか。

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  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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