09B_上州歌人_須永義夫

09B_上州歌人_須永義夫

たまたま、歌人須永義夫の歌集「山河哀唱」が手元にあった。父親とほぼ同年輩の伊勢崎の歌人という事で拾い読みをしてみた。(2010/10/13)

1.著者略歴(歌集 山河哀唱より)

大正3年1月5日、群馬県佐波郡釆女村下淵名に生まれる。大正13年伊勢崎市に移住。作歌は昭和12年より始め、14年「ポトナム」に入会、内藤鋠作の第3次「叙情詩」等を経て、戦後の21年より「短歌文学」を創刊、編集発行人として現代に至る。歌集は「山上集」以降「月の淡影」まで8歌集。歌論集としては「土屋文明の植物歌」3部作、「万葉集草木歌」等がある。

尚、短歌文学に記された経歴を以下に記す。

平成九年度群馬県功労者表彰(文学)を受けた。群馬県功労者表彰制度ができたのは昭和30年である。

平成11年2月22日逝去(短歌文学改刊第1号奥付による)。

2.「山河哀唱」(平成9年5月20日発行:短歌新聞社)

昭和16年、17年の作品「上毛野」と短歌文学昭和23年所載の歌をまとめた。著者27歳頃の作品で著者の青春歌である。「このころ、年齢のこともあて、しきりに昔日の事が思はれる。若かった日がなつっかしく、叉輝かしく思はれるのである。」として、資料の残っているうちにとまとめたのが本歌集である(あとがきによる)。


昭和十六年

○雪ふりぬ

二・二六事件の回想のようだ。

■声清き処女(をとめ)のひとり若き等の中に交じりてためらはず歩む

○弟還る

駅での弟との再会の情景を詠ったようだ。

■正月の五日になりて慌し草枯れの故国(くに)にいま弟還る

■人中に囲まれ帰る弟が物言ふ声はいや親しかも

○浅間噴火

浅間の噴火を詠んだ。最初は驚くがそれが続くと日常の生活に流されてしまう。

■噴煙も流れつづけば驚きし人も忘れて忙しく生活(たつき)す

○菜の花

戦争のこと、世界の情勢、父親のこと等を日常の菜の花によせて詠んだようだ。

■偽装網に菜の花を挿して過ぎゆくはいまだ若くして少年の如き兵

■父が子に怒りを持ちて物言ふも術なしにして言ひ給ふらん

○赤城山

戦前は赤城山行きのバスはあったのだろうかと思う。

■君を伴ひ初めて来にし赤城嶺はいまだに寒し木(こ)の芽吹く山

○独ソ戦起る

二十世紀前半は世界中に戦争があった。戦争にかり出されるのは青年なのだ。

■赤軍を謎のごとくに人言へど如何なるところを謎と言はむか

○阿左美沼

レコードの歌声がスピーカーから流れてきたのか。戦前のレジャーの一こまか。

■阿左美沼のボート貸場に掛けてゐる流行歌の声はいたく甘たるし

○領海

陸地も海洋も国境線は常に緊張を孕む。戦争の予感がする歌。今の青年は何を思う。

■北国の領海すでにあわただし撃つべき時はただ撃たむのみ

○晩秋に入る

極寒の戦地に派兵される拒否できない厳しさ。

■満蒙陜西(せんせい)の奥に入りたる兵ありて来向ふ寒さきびしかるべき

○十二月八日

機械が回り出すように全てが戦争に向かって動き出したようだ。

■真珠湾を空襲せりといふ声に来(きた)るべきもの来しかと思ふ

■米英を討ためと畏しやこの日厳かに大詔下る

■豈(あに)朕が志ならむやと宣(のたま)へる大詔(おほみことのり)を死にて思へや

○緒戦

なんともない日常生活の中に戦争が入り込んできたようだ。

■洋(わだ)なかに高く揚がりしZ旗は北東十七メールの風に翻りき

■熱き湯に葛湯を啜りコタバルの敵前上陸をかなしまむとす

■一息に夜を吹き荒れし木枯らしが寝につく頃に衰へむとす


昭和十七年

○春めく夜

臨戦態勢が身辺にも及んできている中に春の訪れを感じるやるせなさか。

■桜草の花開くべき季来れど一日を籠る砂つぶてを聞きて

■衣料切符制となりて多忙なる横倉君は十日余りも姿を見せず

■電灯を黒き遮蔽に覆ひつつ春めく夜をわれうたがはず

○特別攻撃隊

特別攻撃隊は真珠湾攻撃に際して編成されたようだ。当時の国民の本当の心情は?

■朝飯(あさいひ)を取りつつ吾は涙垂りて特別攻撃隊の事をし思ふ

■真珠湾に潜(かづ)き入りたる攻撃隊は事成しとげて自ら果てぬ

■正成の一世の誠そのままに行きし尊し九軍神岩佐中佐等

○弟再出征

徴兵は若い順におこなわれるのか。

■弟に再び来たる令状を受取りてしばらく言葉さえなし

■中支那より帰りて家に一年余り暮せしことを長しと思はず

■皿の上の大きな苺を囲(めぐ)りより一つづつ食ひて夜をたのしむ

○赤城山大洞

友人と慰安の旅で赤城山に出かけて時詠んだ歌のようだ。

■赤城社の裏手の道を一人来て湖(うみ)近く見る万葉の歌碑

■この山に採れし蕨をやはらかしと言ひつつ食ひぬ宿のランプの下

■応召中の矢内計(かづへ)と二人来て食堂に入りランチ食ひけり

○時雨

東条首相が吾妻の山間地を激励し視察した新聞記事を見て詠んだ歌のようだ。老若男女、山間地の木材等さえも国家総動員された様子がうかがえる。

■朝しぐれ一時降りし寂しさに啼き交はし飛びし鴨の羽寒し

■をみな等も集ひて作る吾妻の木炭も月に何万俵か

■国の行方をさまざま思ふ東条首相今日は吾妻の山べを下る

○多胡の山

古のロマンを求め古碑を尋ねてもそこにも戦争という現実があったようだ。

■山の上の碑を尋ねつつ山間(やまあひ)の落葉降りかかる村に入(はひ)りぬ

■天武天皇九年の古へに放光寺の僧一人母の名を石に刻めり

■坂の下の国民学校に声をあげて各個教練する在郷兵等

■天づたふ陽はありながら多胡の山の坂を越えゆく古き世思ひて

○比利根川

川の堤防の野焼きの跡を詠った歌のようだ。うらわびしい情感がただよう。

■いにしへの比利根川(ひとね)の川の跡方の枯葉を焼き夥しき石を焼く

■堤のうへに僅かに見えし青木芽も再び風に萎えてゆくべし

■桑畑の向うに見えし子持山雪降れるごと暗くしづみぬ


昭和十八年

○佐藤花子君

元旦早々に将来の花嫁に会うような心の躍動を椿や梅の花に託しているようだ。

■元旦の朝に出で来てゆくりなく君に会ひつつ鋪道に立てり

■つつましきこの年明けにやはらぎて心新しく見る椿の花芽

■部屋の中に活けたる梅はくれなゐに萼(うてな)色づきいまだ匂はず

○二月転職

上州の空っ風が吹きさればもう春だと転職の決意と期待もにじむ。

■地下室より書類出し来て砂つぶて起こる一日も吾は勤むる

■監察官の来たる朝(あした)を整へて職変へて来し吾もつつしむ

■桐の梢に照りし春日を恋ほしみて南の部屋に一人坐りぬ

○細谷村 高山彦九郎生家跡

著者が戦前、細谷村 高山彦九郎生家跡で詠んだ歌

戦前は高山彦九郎の評価は高かったが、戦後それが一変した。しかし、須永義夫氏は戦後も高山彦九郎に関する一文を発表している。青年時代に高山彦九郎生家跡を訪問して歌を残し、戦後に高山彦九郎の一文を残すという点から高山彦九郎崇敬の念がうかがわれる。

■屋敷跡に生ひし槭(かへで)の一本(ひともと)も古しと思ふ百八十年経て

■ここの家に生(あ)れし正之(まさゆき)先生が国憂ひ世を嘆きとどまり難かりき

■オロシヤ船来たると聞きて北にゆく独(ひと)り身に春はうづきしと思ふ

■赤城の山淡く霞める東にて新田村山(にいたむらやま)かたまりて身ゆ

○春浅く

早春の仕事や世情を詠った。

■朝々を混める電車に乗り合ひて中学に行く弟と吾も勤めに通うふ

■海綿の水の湿りも温かくなりしと思ひ紙幣をかぞふ

■呉服商菓子商等も移りゆきし満州開拓移民のこと語られぬ

○大平沢

山歩きか山菜とりか定かではないが、樹木・植物への関心が見える。

■山の間に沢をなしつつ落ち込みし水田(みずた)の中に邑一つあり

■雑木の中を曲がりて通ふ細き道を上り下りして幾人かに会ふ

■ひそかなる山紫陽花のむらさきを北谷の林の中にもとむ

■草なかに古世(ふるよ)の墓の群がれる宿坪の原といふを見下す

○山本元帥国葬
須永義夫は昭和18年6月5日上京中であり国葬の行進を見たと歌詞に述べている。
あとがきに、「昭和十八年から十九年にかけての作は、私の海兵隊時代の備忘録『雲の如し』によるが、軍務の間に折々作歌したものを家に送ったものである。」と述べている。軍の検閲を考えて兵としての歌は避けたとある。

■これの日のこの弔楽(てうがく)の悲しみに海の帥(そち)君も永久(とわ)の人に入り給へ

■日比谷街頭の青葉並木路に砲車引き君の勲(いさを)世界に誇る

■戦爆の連合組みて飛びいづる南の基地に手を振る写真あり

■南(みんなみ)の雲の上にて隠(かく)りたる君の心継ぎゆくこゑあらあらし

○山崎部隊 六月一日

悲惨な戦況を思いつつ歌を詠んだ。

■動けざる傷病兵等相寄りてことごとく自決して果てたりといふ

■二千余の命を絶ちし北の島のかなしみこもるこの国の内(うち)

■アッツ島の山崎部隊を嘆きつつ勤めさなかにもその事思ふ

○瑞若葉

この章には戦争の影が及ばず明るい雰囲気の歌となっている。

■木斛(もっこく)の花散り終へて汚れたる萼(うてな)もやがて土にかへらむ

■瑞(みず)若葉の枝をくぐりて吹く風もとどめなくして日々の事忙し

■朝早き鋪道をあるく女学生等すこやけくして何を乞ひねがふ

■電車にてよく会う人と語りをり水田感慨の歴史のことなど

○備足山

北公民館だより(http://www.city.isesaki.lg.jp/data/kouminkan/kita-k/h22/0301.pdf)に備足山が紹介されていた。それによると、「又、北部環状線と市立三中へ通じる交差点の信号の北西に備足山と云う小高い丘があった。ここに先住者22名のお墓があったが、今では地域開発でこの山はなくなり、墓地はすぐ南に移転されている。この墓地に紅碩の寿蔵碑が立ち、石には本人自詠自筆の句が刻まれている。
■お降りやものの初めは少しより 紅碩     末広町史より」(歴史散歩:『末広町』 金谷 安敏氏)

北公民館だよりと須永義夫のこの章の歌を重ね合わせると昭和10年代に備足山の開発・平坦化が進んだようだ。開墾前は茨等の雑木がしげり、その後に黍が栽培されていたというような歴史イメージが浮かぶ。

■古き世に寺ありし所今に来れど一木とて生ひず石焼け原に

■崩されて僅かに残りし備足山(びたりやま)の上に赤羅の雲一つ引く

■漆の木の一本(ひともと)立てる辺りより石積みしトロッコいくつか並ぶ

■茨の花の白き小枝(さえだ)をポケットに入れゆくは清ともあはれともいはむ

■灯を点して来たる夕べの哨戒機は黍の畑の上低く飛ぶ

○召集令状来る  八月二十三日
ついに予期していた召集令状が来てしまった。心ひそかに結婚を誓っていたのに。

■戦ひは大いなる時に会うへらくと吾(あ)を召すし給ふわが大君は

■男(を)の子三人つぎつぎ征きて戦へば家守りて父母の老い給ふらむ

■大君の任(まけ)おまにまに海行きて遙かなるとも君を忘れず

■ひそかにも心に育(はぐく)む思ひあれば征く日近づき清しくふかし

○八月三十一日  佐藤花子と太田町に行く

召集令状が来て十日ほどで出征となったようだ。出征を目前にして二人で出かけて将来を語り合ったのだろう。

■秋萩の小さく早も咲きなむと思ふ日にして君にちかひぬ

■山の上の松の木下(こした)の下露に短かかるともわが心述ぶ

■戦より生きて帰らむこともあらば君を愛さむ一生(ひとよ)のかぎり

■焼飯(やきじき)を共にひつつ和むともあなあはれ三日の後には発たむ

○出発の日  九月三日
すでに軍用列車に乗り故郷を去りつつあるときの光景と心情を詠った。

■野も山も水漬(みず)きわたれる上毛(かみつけ)の野を下るとき多胡の山見ゆ

■故国(くに)を離れて行く時にして荒れ来たる秋の厄日(やくび)も永く思はむ

■父も母も健やけくして送られしこの幸ひを忘るるなけむ

■ながながと曇りお下を行きゆけどひそかなる如し軍用列車は

○雲のごとし

いよいよ海兵隊に配属されて軍港での軍隊生活が始まった。

■軍港を囲みて走る山の上に午過ぎの雲は移りつつゆく

■篠懸(すずかけ)の葉を吹きなぶる海風にしばしも思ふ召され来しかなと

■月照りて海鳴りとよむ屋上にこの夜あはれみ兵ら寄り合ふ

■ここを出でて何処(いずく)に行かむ空母二隻白波を蹴りて沖を行く見ゆ

○百里原転勤  九月十三日

時は昭和18年。出征10日ほどで勤務地が変わったようだ。

■すでにして秋の至ると驚ける常陸のくにははや稲を刈る

■入りくみて真菰の伸びし向うには霞が浦の水照りにぶし

■霞が浦に近き高浜の店に寄りここに作られし梨を兵等と食ふ

○実砲の音

練兵場では実弾で訓練したようで、いよいよ戦場が近づいてきたようだ。

■兵となりて日毎に競ふ練兵場に寒き野分は朝より吹けり

■父の声に似し声を誰がするならむ眠りまどろむ朝明け頃に

■日の暮れに芒原こえてとどろける実包の音は腹に沁みわたる

■いつしかは虫の声々ひそまりて吊床に寒き暁をまどろむ

○白き菊

白菊の咲いているのを見て白秋の忌を思い出したが、一兵としてそれを見ざるを得ないという元日からは逃れられない。

■白秋の忌のめぐりきてかぐはしき白き菊さへうらがなしけれ

■飛行服を着けし兵等も葉の散りし兵舎の庭を幾組か来る

■哨戒の任務を持ちて飛び立ちし機の影も忽ち粒ほど遠し

○ブーゲンビル戦

戦争当時の戦果は強調して報道されたようだ。特攻精神も賞賛されたと思われるが、それを我が身に引き寄せて考えるとつらく涙も流れる。

■大東亜会議に集ふ代表等もまさしく聞かむ捷報(せふほう)至る

■油槽の油尽きむとしつつ身を携(さ)げてなほ追ふ姿思うだに身よ

■十五機に加ふ未帰還の五機のこと幾度か読み涙とどめ得ず

○茶の木の道

出征して数ヶ月後の晩秋に古里の恋人や父母の事を思って詠んだ歌のようだ。

■上つ毛は木枯し荒(すさ)び空をゆく頃とな思ひ心さびしむ

■すこやけき処女の君が家近き茶の木の道を歩める頃か

■父ははも老の齢に近づきて君見れば君をやさしと思はむ

■枯草は幾ところとなく積まれありて干乾(ほしかわ)く匂ひをたててゐるなり

○幡谷八木上付近

■秋遅き山の狭間(はざま)を行くときには稲架(はさ)残る小田に風吹きわたる

■荒々しく木草の枯れて人の来ぬ峡の斜面(なだり)を吾が沿ひてゆく

○小川町近傍

練兵所付近の冬の情景を詠ったようだ。軍隊の事はほとんどふれていない。

■冬枯れの乏しき町に残りしごと僅か商ふ馬具商下駄を売る店

■酒保に入り甘き物食ひ心足らひ冬花乏しき庭歩むかも

■枝払うひの細き枝すら惜しむらしく桐材集荷所に積み重ねたり

■いにしへの常陸の国に船漕ぎて住みし民思ふ西浦の湖に

■公用使が町に出で来て持ち帰る手紙の類も冬の便りなり


昭和十九年

○常陸国分寺址  一月五日

新年も帰省できずに昔の遺跡めぐりで新年の気分を味わったようだ。

■木立の下に雪の(こご)りて寒き日に常陸国国分寺址を訪ひつつ来たる

■桜の古木ここに多くして中門(なかのもん)の敷石跡にこごしく日の差す

■楓木の一木の立ちも真(ま)さびしく雪を被れる礎石十余り

■麦の青芽わづかに伸びし雪原に朝の光はいまみなぎれり

○国分尼寺址

国分寺の後にに国分尼寺の方も訪問したようだ。どちらも古代の遺跡なので、そういうものに引き寄せられる気持があったものと推測される。

■もろこしの枯れたる茎を焚きつけて黒く焼くここ国分尼寺址(あと)

■いにしへの国分尼寺をいまに思ふ大き礎石の並ぶ丘のうへ

■芝を焼きて黒くなりたる寺址に埴色(はにいろ)なせる布目瓦の破片

■筑波嶺の呂に雲居の過ぎがてに兵なる吾もさまよふに似む

■媼居れば道など問ひてわが母に会ふがにやさし桐の畑をゆく

○百里原を去る

終戦のほぼ一年半前の歌である。以下歌詞を引用する。「百里原半歳の生活に忘るなきは海軍書記桜井博信氏なり。十九年二月二十三日、ここを離るるに当たり思いひ切なり。」

■秋萩の末枯(うらが)れ初むる頃よりぞ君に仕へ来し事を忘れず

■図書の中に埋もれ日毎を過ごし来て多忙なりしもはや夢に似む

■心弱く日々をありける新兵のわれを庇ひき海軍書記君は

■幾年(いくとせ)か生き永らへて君に会はば国の栄えの時にも会ふべし

○郡山航空隊

軍隊の配属先が変わったが、まだ内地の勤務であった。赤城を思い望郷の念もあったようだ。

■吹く風に流されながら降る雪は野外炊飯の焔にかかる

■阿武隈川の堤をゆきて近くなる安達太良山は赤城にも似る

■アカシアの喬木(たかぎ)の幹に縄張りて昨日乾(ひ)ざりし略衣を又干す

■白き雲浮ぶ雲水嶺(うつみね)の麓より麦の畑は青み初めたり

○河内村

また配属先が変わったようだが、軍隊生活の様子は余り描かれていない。

■逢瀬川の白き滾(たぎち)も細り来て秋枯れに入るここ河内村の上

■山の間に狭き刈田に稲架(はさ)を組みて黄なる稲穂を干し連ねたり

■村に入る道狭くして軍用車も伸びし木枝を払いつつ走る

■葛城の宮遠からずと聞きて行く王瀬川に沿ふ霜ふかき道を

○二本松霞が城址

軍務の合間の城址巡りの歌のようだが、戦争が色々な面に及んでいる事も詠い込まれていてる。単に感傷にふけるのではなく、歴史を通して来し方行く末を思っているように感じた。

■山の上は静なる雲流れて残る石垣の積目(つみめ)目に沁む

■山の上の城に拠りつつ防ぎしと見下せど谷は木々枝ごもる

■もののふは和(のど)かに死なじと相寄りて山の上の城に籠りし思ほゆ

■公園を横切り来たる処女(をとめ)二人一人は洋装にて物言ふ聞こゆ

■句碑建てる所も耕して広く植ゑし公園の中の大豆畑

■滝野川の疎開児童等山中の道行くに共々軍歌をうたふ

■大隣寺の裏地に来たりて見てをりぬ墓十六基苔むすままに

○真弓の木

安達中学校(校章に真弓の花を象ると別の歌で詠っている)を訪問した時の歌のようだ。真弓の木に託して心情を詠んだようだ。

■雪風になぶられて来て校門の傍に近く見にし真弓の木

■雪に立ちて枯れたる如く幹はあれど古へは兵の弓をつくりぬ

■兵のわれが真弓木の傍へに事問ふを訝しみ親しむ万葉歌ありて

■ひそやかに十字架もなしに立ちてゐる山の教会の衰ふるらし

○航空隊枯山

昭和十九年の冬の軍隊の食料事情が、この章の一連の歌からうかがえる。野菜が不足する兵士達の為に大根干葉を作った兵士がいたとは初めて知った。歌として残された貴重な戦争記録であると思う。

■山中に干し置く干葉を集むると阿武隈河岸の雪踏みて行く

■干し乾く大根干葉を取り入れて俵に運ぶ兵等十名

■一万五千の兵等に野菜乏しければ大根干葉をつくる兵なる吾等

■つつましく兵舎に朝々食ぶる干葉も歯に噛みみて甘きことも尊し


昭和二十年

○麦の芽

ここから昭和20年の歌になるが、この章に掲載された歌は6首のみである。食糧不足による飢餓刊が主題になっている。歌を詠むというゆとりもなくなってきたのが歌の数が少ない理由か。末尾の歌は敗戦後の作品のようだ。この歌には、今は何を言ってもだめだという精神的な敗北感と同時に、食料にも困っているが、それは10年たてば克服できる、そのときすべて言うことができるであろうと将来に対する意欲も感じる。

■麦の芽の畑一つら颪し来て早くも荒(すさ)ぶ毛のくにの風

■一合の米儘ならぬ冬至来て葱と蒟蒻を熱く食へば足る

■蜜柑の山鰯の山街にあれど食ひたる後に我飢うべきか

■敗れては言ふべき事の今はあらず十年餓ゑて後に言はなむ

○碓氷行

終戦の年の秋、碓氷方面へ小旅行に出かけた時に詠んだ歌のようだが、戦争から解放されたという明るさを感じる。作者は青年の頃から万葉集、歴史、植物等に親しんでいたようで、それらが後の著作に通じたようだ。

■碓氷嶺の北より激ち流れたる霜積川も碓氷の川筋とあふ

■新しく峠下に拓けし中山道を下るトラックは紅葉をかざす

■万葉の古き世思はす行手の山を羽根山(はんねいし)と言ひて親しむ

■足弱き処女の友も今日を来て紅葉の山に足を励ます


昭和二十一年

○足利学校跡

終戦翌年の早春に足利学校跡を訪問したときに詠んだ歌で、戦時ではない平常が戻ってきたように感じる。

■下野(しもつけ)の春の浅きに訪ひて来ぬ学びの起これる跡どころ此処(ここ)

■石組みて残る古井の傍(かたはら)の湿りに青くなづな草生ふ

■君と来て和ぎし冬日に巡る園に白梅紅梅いまだ咲かず

○若葉

依然食糧難は続いているが、妻が主導してつくるトマトに期待がかかる。ようやく歌の中の君が妻に変身したのであろう。

■今朝早くトマト植うると起き出でてわが家族(うから)らの声の朗らか

■トマトの事をよく知る妻がかひがひしく苗植ゑゐるを見てゐる吾は

■万葉の東(あづま)の歌の地理一つ思いぐむ間の若葉の伸びよ

■清らなる処女を恋ふる如くにも恋ひ思ふのみ白米のことは

■食料危機七月説を言ひゐるにトマト十本間に合はすべし

○石切山

終戦直後の社会状況や自然状況が詠み込まれて、当時の様子を知る手がかりになる歌だと思う。藪塚石は明治中頃から掘り出され、この歌が作られてからてしばらく経た昭和30年頃閉山になったようだ。藪塚温泉は自分の祖母も農閑期には湯治に行っていたようだ。時代の変化を感じる。

■虎杖の赤芽も青く変わりゆく堀多しここ湯元の村は

■米持ちて出湯に暮す客多し食料特権者農民諸君

■石切山に吾を案内(あない)す新井君と藪塚石企業論語り麦畑をゆく

■この山に兎現はるると君の言へど兎を狩りて楽しむ者なし


昭和二十二年

掲載の歌は無し。


昭和二十三年

短歌文学掲載の歌を載せている。

○讃岐路

讃岐路旅行の一こま。当時の交通機関が船と汽車であったことがよく分かる。歌に詠み込まれた風景に郷愁を感じる四国人もいるかもしれない。ところで、作者が乗った汽車は客車と貨車が一緒に連結されたものだったのだろうか。

■青き潮分けて近づく連絡船の上に黒々し貨車二つ積む

■海に沿ひて行く汽車鈍(のろ)き黄枯野の彼方に広く塩田の見ゆ

■山低く連なり讃岐の国に汚れし貨車を放ちつつ行く

■琴平に言葉なつかしみ五夜寝て枝さえ親し大木蓮の庭

■饂飩の中に茸のあるを楽しみて宵々にゆくさびれし店に

○牡鹿のこゑ

これも旅行の一こまであるが、戦時中の話や米を持って旅館に泊まった様子等を詠って貴重な記録にもなっている。

■冬に入りて首毛房々と強(こわ)くなりて原中に立つ一つ牡鹿のこゑ

■奈良山に放して飼へる鹿の数も食ひ足らぬ時少なくなりぬ

■一二升米を持ち合ひて古塔の見ゆる部屋に宿りぬ

○伊勢の青山

伊勢神宮参拝の時の歌であろう。戦争の資材として山林の多くがかり出されたが、伊勢神宮をとりまく山々は荒れなかったと感慨深そうに詠われている。

■青垣をめぐらし立てる伊勢の山の荒れざることを尊み見をり

■外宮の橋早くも朽ちてゆくものをとどめ難し世の移り替る時に

■薄荷糖いくつか買ひて伊勢の宮に来にししるしとせむか

■伊良湖岬(ざき)に船行くといふ聞くのみにして海見て帰る

以上、「山河哀唱」の拾い読みであるが、旧仮名遣いと変換の難しい植物名の漢字の入力には苦戦して、パスした歌も多い。戦後生まれの自分にとって、戦前はどんな様子であったか知りたいという願望が絶えない。しかし、戦争が大きな山のように立ちはだかり、戦前の姿は容易に見渡せない。戦後生まれの世代の父母達はその戦争を乗り越えてきた。時の流れは戦争の苦しみ・悲しみを癒し、人々の記憶から遠ざかって行く。「山河哀唱」を通読して初めて、著者須永義夫氏の青年時代の心情の軌跡とともに世相の記録が歌の中に詠み込まれている事を実感した。父は須永義夫氏と同じ時代を百姓一筋に生き、記録らしい記録は残していない。須永義夫氏は出征したが国内の勤務であったようだ。父は氏より僅かに若かったためか外地へ出征した。氏の作品を通して、父の昔話と重ねたりして、父の心情の軌跡を少しでも心に描ければありがたい。機会があれば再読してみたい。


3.短歌文学よりの抜粋
以下の歌は短歌文学に掲載された須永花子氏の作品である。「山河哀唱」と重ねて読むとより深い理解ができると思う。(2010/10/29)

○夫の声
             須永花子

■吾を呼ぶ夫の声かも庭の上に雪の小鈴のほぐれむとして

■春来よとひた待ちし夫よ庭隅に雪割草の小花咲き出づ

■日に幾度辞書をひく夫に運びたる植物図鑑の重みなつかし

■リンゲルを打ちゐる腕に原稿を持ちてひたすら選歌つづけし

■持ち行ける新聞を読み原稿の選歌をしつつ面輪かがやく

■夫の亡き吾を誘ひくるるかひとりしづかの白花の群

■亡き夫も桜の山の花蔭を歩むと思へば安らふものを