00133_STAP細胞再考(目次)

00133_STAP細胞再考(目次)

STAP細胞問題は、この問題のキーマンであり、NATURE誌のSTAP細胞論文著者の一人が自殺した事により新しい局面を迎え、最早問題という扱いでは済みそうに無い段階に達している。当ブログのSTAP細胞関係記事を時系列的に整理してこのSTAP細胞問題を考える参考にしたい。(2014/9/9)

期日

 

タイトル

2014年1月31日   (金)

 

老人の寝言又は老人の妄想:あれは明けの明星か?

 

 

新しい万能細胞の作り方が発見されてようだ。

2014年3月15日   (土)

 

科学ニュースに独り言:老人の妄想:老人の寝言:STAP細胞は夢か幻か  

 

 

ともかく、過去の「発掘捏造」と今回の「STAP細胞」論文は、どうも類似した構造があるような妄想が浮かんできてしまった。

2014年3月17日   (月)

 

 老人の寝言:日本は科学の真理を捏造する輩が跋扈できる天国なのか?

 

 

最近の、日本世相では、この「偽金作り」風のスキャンダルが多すぎないか。

2014年3月27日   (木)

 

科学ニュースに独り言:iPS細胞   対 STAP細胞(二匹目のドジョウがいるのか?)

 

 

二匹目のドジョウで、ノーベル賞を狙うには、やはりそれなりのテクニックを使ったのではないか。

2014年4月 1日   (火)

 

科学ニュースに独り言:老人の寝言:STAP細胞で馬鹿にされたのは誰か

 

 

ものの真偽は、当事者に語らせるのが原則だ。そこに、理化学研究所がしゃしゃり出るという構図は何かおかしいような印象を受ける。

2014年4月 5日   (土)

 

読みかじりの記:失敗学のすすめ 畑村洋太郎 著 (2000年 株式会社講談社)

 

 

最近、STAP細胞という日本の科学界を揺るがす大問題が生じている。もしや、これも失敗の範疇かもしれないと思い、がらくたの中から探し出したのが本書であった。

2014年4月 9日   (水)

 

老人の寝言:老人の妄想(背後にに渦巻く思惑は何か?):嗚呼幻のSTAP細胞

 

 

STAP細胞論文で、筆頭著者は名ばかりが実態のようだ。STAP細胞論文の内容に役割分担は記載されていない。論文の主語にはWeを使っている。役割分担が記載されない共著論文でその内容に共著者全員が連帯責任をとるべきなのが常識ではないか。

2014年4月10日   (木)

 

半端道楽:写真で俳句る:日々農天気:未来は既に目の先にあり?(姥桜 待てど咲けども 来ぬ人よ。)

 

 

今回、STAP細胞論文筆頭著者はパトロンを弁護士団に乗り換えた。ひょっとすると、真の問題解決から一歩遠ざかったのではないかと不安がよぎった。科学上の真偽という問題から関係当事者間の利害の調整という問題に軸足が移ったように感じられたのだ。

2014年4月16日   (水)

 

 老人の妄想:老人の寝言:STAP細胞をとりまく人間模様 |

 

 

STAP細胞問題は科学の問題から社会の問題になってしまうのか。

2014年4月17日   (木)

 

老人の妄想;老人の寝言:理化学研究所 CDB副センター長の会見から何が見える?   |

 

 

副センター長や理化学研究所関係者が駆使しているトリックは、STAP細胞を発見し(作成したOR存在する)たという事実を、仮説にすり替えている事だ。本来、仮説を証明した結果が論文なのだ。論文が仮説です等と科学者は口が裂けても言えない筈だ。

2014年4月19日   (土)

 

老人の寝言:老人の妄想:STAP細胞特許をどうする?:貧相な科学者は皆無と信じたいが  

 

 

仮説が成立するという証明を欠いて、結論だけを架空の手段で主張する事はまさに捏造になるだろう。まして、STAP細胞論文が仮説に戻ったから取り下げるというような見解は、ペテン師の論理そのもので、もはやそのような無節操の科学者が住む世界は極限されるのではないか。

2014年4月21日   (月)

 

身辺雑記(田舎老人徒然草):悪友のチン説   |

 

 

ともかく、「物理的または化学的な刺激」が遺伝子のどの部分に作用するのかも、老人の頭脳では理解できない。老人の妄想では、この部分に、マジシャンの手口が隠れているように見えてしまうのだ。マジックなら、それを言っちゃあお仕舞いよで済むのだが、科学では、それが捏造の舞台作りに見えてしまうのだ。STAP細胞論文著者で、仮説に戻ったと主張する科学者は、検証可能な仮説として、仮説を提示すべきではないか。仮説を隠れ蓑にするような態度はもはや科学者として死んだも同然ではないか。

2014年4月27日   (日)

 

老人の寝言:出番無きマニュアル:理化学研究所のやらせもどきの調査委員会の役割は何だったのか   |

 

 

老人の寝言:出番無きマニュアル:理化学研究所のやらせもどきの調査委員会の役割は何だったのか |

2014年6月13日   (金)

 

日々農天気:二代目大玉スイカ:味見まで頑張れ!

 

 

昨日、理化学研究所の改革委員会(岸輝雄委員長)の改革案が出たようだ。自分流にその結論を解釈すると今回の理化学研究所のネイチャー誌投稿STAP細胞論文に拘わる一連の問題はその著者一人だけの問題ではなく、他の著者を含む理化学研究所の組織的問題であったと断罪したものと理解した。

2014年6月18日   (水)

 

日々農天気:環境雑録:にんじんの花と蟻  

 

 

STAP細胞論文はオリンピックで言えば団体競技だろう。チームメンバーの彼奴が悪いというような言い分はフェアでないだろう。勝負の結果はその善し悪しは別としてチームメンバーの共同責任ではないか。STAP細胞問題の責任のなすつけあいは見苦しいだけでなく責任体制の不在を象徴しているように見える。その点、改革委員会の提言の方がまっとうだろう。不正が発覚したから論文を取り下げるという論理は世界に通用しない。

2014年7月13日   (日)

 

日々農天気:二代目スイカの実がなった   |

 

 

最大の改革はトップが辞任することではないか。そうすれば理研の研究者も自信を取り戻せて研究成果も鰻登りになり、日はまた昇るが期待できる。

2014年7月27日   (日)

 

半端道楽:写真で俳句る(写真+凡句):オニユリの増やし方は?(オニユリの 花を見るより ムカゴ見よ。)   |

 

 

科学は人類の理想の反映である。その理想が全く見えない理化学研究所執行部に存在価値が全く無いと思われても仕方ないのではないか。

2014年7月28日   (月)

 

環境雑録(愛しきもの 生き物):これ何で蝶(何という蝶?)  

 

 

リケン執行部・STAP細胞論文当事者は科学者としてあるべき自主性・倫理性・責任に真摯に向き合って対応しているとは思われない。

2014年7月29日   (火)

 

半端道楽:写真で俳句る(写真+凡句):カブトムシはなぜ強い?(このカブト おかげで餌を 独り占め。)

 

 

この事件により日本の考古学の信用は失墜し、考古学の進歩発展も遅れて、巨視的には科学・文化に対して大きな打撃と損失を与えた。同じような構造がSTAP細胞細胞問題にも横たわっていると推測される。

2014年8月 6日   (水)

 

半端道楽:写真で俳句る(写真+凡句):種蒔きの間引き苗の使い方は?(この株は 間引き免れ 花を付け。)   |

 

 

正午のニュースで理化学研究所CDB副センター長の笹井芳樹氏が死亡したというニュースが流れた。遺書のようなものが残され自殺とみられると報じた。理化学研究所はSTAP細胞再現実験を4月から始め8月に中間報告を出すと公表している(http://www3.riken.jp/stap/j/e24document7.pdf)。中間報告の時期と今回の死亡事件は偶然の一致ではないだろう。

2014年8月11日   (月)

 

田舎老人徒然草:便利そうな立地で閉店したコンビニの謎?   |

 

 

もし、再現実験も不首尾に終われば、当然プロトコル自体も捏造ではないかという疑惑が素人にも生まれる。プロトコルが捏造ならSTAP細胞も捏造ではないかと疑惑は更に深まる。結果はどんどん悪い方向に向かい遂にSTAP細胞問題自体が架空の作り事だった事になるような予感がしている。

2014年8月18日   (月)

 

半端道楽:写真で俳句る(いとしきもの):邪魔だがガマン?(年一度 出番が来るは 何時までか。)

 

 

もうじき理化学研究所のSTAP細胞再現実験の中間結果が出る。YOUTUBEで再現実験発表時の記者会見を見たが、実験担当の丹羽仁史氏の苦り切った顔が印象的だった。その顔から既に結果は出ているように感じた。

2014年8月28日   (木)

 

日々農天気:F2オクラの収穫   |

 

 

STAP細胞事件に関して動きがあった。理化学研究所より再現実験の中間報告と改革アクションプランが発表された。予想通りSTAP細胞は再現できていない。改革アクションプランは見方によれば砂上の楼閣のように感じた。理化学研究所のトップは、問題の本質を抽出し、自ら進んで改革を行う姿勢を示しているように見えない。再発防止云々と声高々に叫んでいるように振る舞っているが、最初に事実の解明を行うべきではないか。これこそ、理化学研究所の上層経営者に科せられた責任ではないか。事実の解明無しに改革云々と何を行っても、その改革そのものが、パフォーマンスや実体のない作文に終わってしまうのではないか。結果として、再発を引き起こす要因を温存してしまうのではないか。

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