技術の究極にあった黒電話

2008/11/12

技術の究極にあった黒電話

今日、一人一台と言って良いほど携帯電話が普及している。電話の歴史をたどると、たゆま

ぬ進化があったようだ。一般の家庭に電話が入る前には、呼びと言って電話のある家の電

話を使わせて貰うことも行われていた。その後に、有線放送という地域の組織ができて、地

域内の一斉放送と、放送時間帯以外の通話の兼用が行われた時代があった。地域に専用

のコンクリート柱が立てられ有線が張り巡らされていた。しかし、一般の電話の普及で有線放

送も使命を終えて消えていった。電話機といえば、両親はあの重たいが存在感のある黒電

話を使い通した。頑丈で音質も良く扱いに不自由がない単純さ。まさに電話以外でない電話

そのものであった。電子式の電話機は軽く多機能であるが、電源が必要、落雷に弱いという

問題もあった。半導体が電話の世界にも大量に使われるようになった結果でもある。一度電

子式に変更してみたが結局黒電話に戻った。その電話機の型番は定かでないが、使い始め

た年代から600形と思われる。WIKIPEDIAによると「600形電話機は、1963年(昭和38

年)、日本電信電話公社によって制式化され、提供が開始された電話機。アナログ回線によ

る単機能電話機としては、これ以上の根本的な性能向上は望めない水準で、完成された電

話機と言われる。」とある。局側も端末側もアナログレベルでは究極の状態に達していたので

ある。アナログをデジタルで置き換える事により、各種の機能、サービスが可能となり普及が

加速されてくる。その結果が一人一台の携帯電話の時代といえるだろう。携帯電話では電波

技術と移動する電話を追跡して電波をつなぐ技術が活躍している。

我が家の黒電話も当主がダイアルを回すことが徐々に少なくなり退役を迎える事になった。

実に見事な働きぶりであったと思う。このような名器が現役を去るのは残念ではあるが、これ

も時代の流れで仕方がない。電話は社会のインフラである。光電話は便利であるが停電の

時に使えなくなるという。また、万一の場合のバックアップ電池の販売もしていないとのことで

あった。光電話の採用を検討したときの回答であった。この事実は広告や説明書では小さな

文字で説明されているに過ぎない。社会のインフラとして周知すべきであると要請したことも

ある。災害、事故等万一の場合の命綱で黒電話がまだどこかで健在であるかもしれない。黒

電話を今まで残しておいたのは万一の場合の命綱を確保しておく目的もあった。