チャンスという名の女神

2009/5/8

チャンスという名の女神

チャンスという女神は前髪を垂らしてやってくる。後ろ髪はなくつるつるで掴めない。チャンス

はやってきたとき掴まなければ、過ぎ去ってからでは掴めないというたとえである。何度かこ

のたとえ話に出会ったことがある。チャンスは練って待てという言い方もあるようだ。あること

が幸運であったか不運であったかは結果に過ぎない。しかし、何となく納得しやすいたとえ話

ではある。社会に出て実際の仕事に従事しても、いつも女神が微笑んでいる訳ではない。そ

んなことは極まれで、むしろ渋い顔がまわりを取り巻いているのが実態ではないか。主任試

験の時に集積回路のAC特性をウェーハ状態で行う事を提案した。当時はウェーハ状態では

DC特性しか測定できなかった。それをVIFという高周波ICで行うことは飛躍的な合理化にな

る。しかし、衆人が見て不可能な事を言い出すだけ馬鹿な事であった。担当しているICのウ

ェーハを持って国内の有力テスターメーカーに数回通っただけでその話は終わった。何事も

機が熟すまでの期間が必要である。ともかく集積回路のAC特性をウェーハ状態で行う事は

その十数年以上後になってから実用化された。単能機ならばもっと早期の実用化が可能で

あったろう。しかし、工場のラインには色々な種類の品目が流れる。そこに使われる機器は

流れる品目に対応した汎用性が求められる。結局汎用機と単能機のトレードオフ、妥協が必

要になる。果たして、あの時自分に女神が微笑んでくれたであろうか。女神に悩まされずに

済んだということのようだ。計測技術部門も生産現場では必要な部門であるが、自分の居場

所はその後とも開発部門であった。