2009/11/6
学歴無用論
末は博士か大臣か。明治期の出世双六の上がりを言ったものだろうか。明治社会は武家政
治を否定したのだから、あながちこのスローガンガ的はずれでない事は確かだと思う。武力
より知力が優先したようだが、教育制度と庶民の学力の点では戦前と戦後は雲泥の差があ
ったと思う。高校、大学への進学率が戦後から上昇を辿ってきたという事実は学歴が実社会
の待遇上重要な位置を占めていた事を語っているであろう。従って、より良い待遇を求めて、
高校、大学への集中が起こる。それを乗り切るのが受験戦争であった。少子化で高校、大学
の定員割れが起こっている現在もまだ学歴社会は健在であるようだ。そんな、受験戦争が真
っ盛りの時代に、ソニーの盛田昭夫が学歴無用論を出版したので、一躍脚光を浴びた。調
べると、1966年(昭和四十一)年のことであった。しかし、今振り返ると話題性はあったが、実
際はどうであったのか気になる。確かに、学歴とは無関係に優秀な人材を見つけだし、使え
る人材に仕上げる能力があれば、企業は成長軌道に乗せられるだろう。そのためには、優
秀な人材を発掘する能力が必要な事は言うまでもない。中国の故事に「世に伯楽あり、然る
後に千里の馬あり」というのがあるが、ソニーにはその伯楽がいたと言うことなのかもしれな
い。確かに、大学の学問は四年間で終わる。その後何もしなければ四年間で元の木阿弥に
なってしまうだろう。結局、学歴無用論とはメッキより地金が重要だという人材論であったので
はないか。学歴というメッキだけを見ていては地金が見抜けない。地金にも色々ある。良い
地金を選んで叩き直せば良い仕事が出来る。実践面ではこの地金の叩き直し方にソニーの
ノウハウがあったのではないか。