2010/1/5
内弁慶
内と外を意識するのが日本人の伝統的性格なのであろうか。戦後の日本人論ではベネディ
クトの菊と刀が大きな話題になった。西洋は罪の文化、日本は恥の文化と位置づけたよう
だ。西洋、日本を問わず人間が社会生活をしてゆく以上社会のなかに何らかの規律が生ま
れてくるのであろう。基本的にはそのような規律は普遍的な意味をもち、罪も恥も簡単に割り
切れないのではないか。確かに西洋人は自己主張が強い一面があるようだ。ともかく、卵を
食べる場合でも、料理の仕方にこだわる。やはり、一番先が優位なのか。皆が違う料理法を
指定するわけにはゆかない。結局、最後の方は誰かと同じ料理法を選ばざるを得なくなる。
自己主張の最大の要因はものの奪い合いだろう。それを、合理的に処理するには法令を定
めること。事件が起こっては既に遅いので教育を徹底すること。汝盗むなかれ。盗めばこうい
うことになる。罪と罰で社会を統制する。明治政府は西洋の文化までは輸入できなかった
が、民法、刑法という基本法制も輸入した。こんな事を最近になって知った。巨視的にみる
と、幕府という私立国家が明治維新という革命に倒れて、新しい立憲共和国が生まれた。外
国に対して日本国民を代表する国家が生まれたのである。自分が幼少の頃は内向的である
とよく言われた。これは、学校側の見解でもあった。家のなかでは内弁慶と言われた。要する
に家の中では威張り散らし、家の外では意気地がないと見られていた。しかし、今振り返って
みると、威張り散らしの威張るが自分の行動としてしっくり理解できないのである。確かに、何
か気に入らない事があれば、親や周辺に当たった事があったが、それは一種の反抗期の症
状に過ぎなかったのではないか。当時の親たちが児童心理等知る由も無かったろう。幼少年
期には親に反抗したりした事はあるが、薄々自分の将来を考えるようになり、父が親は子供
の肥やしや踏み台だとささやく意味が分かりかけた頃には内弁慶と言われることも無くなって
いた。しかし、学校では相変わらず、人前に立つのが苦手であった。そのくせは今日も残って
いる。雀百まで踊りを忘れずということであろうか。