科学史:いとしきもの

2010/2/22

科学史

今日の文明が科学の発展に負う事は誰しも認めると思うが、素人がその歴史をたどることに

は困難が伴う。科学史に興味を覚えて、買い置いてあった書棚の本がふと目に付いた。石原

純著の科学史である。現代日本文明史(第十三巻)。昭和17年8月23日初版発行。7000

部とある。自分にとって第二次世界大戦の終戦前と終戦後がうまくつながらないのである。し

かし、大正・昭和という時代は科学文明の時代に突入していた。巻頭の序文で著者は明治・

大正時代の日本の科学の詳述するとともに、先覚者が果たした役割を高く評価している。断

片的であるが、明治以前の西洋科学の輸入も、明治時代の本格的な西洋科学の輸入の基

礎を作った事も評価している。

WIKIPEDIAには「来歴・人物 [編集]
東京帝国大学理科大学卒業。東北帝国大学助教授時代にヨーロッパに留学し、アインシュタインらのもとで学ぶ。1921年、歌人・原阿佐緒との恋愛事件により大学を辞職、以後は著作活動をおこなう。1922年、アインシュタインの来日講演の通訳をした。歌人としては伊藤左千夫らの、『アララギ』の発刊に加わり、自由律短歌の推進者となった。1931年から雑誌『科学 (岩波書店) 』(岩波書店)の初代編集主任を務めた。」とあった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E7%B4%94最終更新 2009年12月2日 (水) 19:03 による。

学校教育では○○が○○を発明・発見した程度の事を学んだに過ぎないと思う。序論で著者

は日本科学の後進性を述べ、明治以降もその後進性の故、日本の技術発展が日本的特性

を帯びるようになったと述べている。後進性は学より、術。系統的でない。秘伝的傾向。直感

的で論理的でない。自然哲学的傾向が強い。等に現れているとしている。しかし、社会的な

要因による発達のポテンシャルは低かったが、日本人自身の有つ能力のポテンシャルは十

分にあると述べている。終戦後花開いた科学の成果も、明治・大正・戦前の昭和の先覚者が

播いた種があったからなのかもしれない。そういう点で、著者が明治維新を西洋のルネッサ

ンスに例えている事が印象に残る。心配なのは、現代は北朝鮮やイランがミサイルや核兵器

を持つ時代なのである。科学・技術の先進国ニッポンというお題目は通用しなくなる可能性も

あるのだ。インドや中国はルネッサンスの時代に入りつつあるのではないか。ルネサンスの

三大発明として活版印刷術、羅針盤、火薬があげられるが、既にその原型は存在していたよ

うだ。それらの技術を大々的に活用できた利用技術(ソフト)と生産力がルネサンスを支えた

のではないか。かつては文芸復興と学んだ記憶がある。科学だけでなく人間性の回復もルネ

ッサンスの一側面であったと思う。理論物理学者の恋愛事件もルネッサンス的意味で興味を

そそる。歴史を学ぶとは化石のような事実を並べるのではなく、歴史を書いた人の目で、更

にそれを第三者の目で歴史を見る事でもあろう。冒頭の著作も学界を去って二十数年後に

出版されている。自分としては終戦の数年前に同書が出版された事が信じ難かった。