2010/2/3
けんかのやり方
平和の時代にはけんかという行為は何かと疎んじられている。父は勝てば官軍負ければ賊
軍という言葉を漏らすことが良くあった。自分はその言葉に反発を覚えた。しかし、物事の実
態を見るとそれは否定しがたい真理性をおびていたのも事実である。一番単純なけんかは
物の奪い合いだろう。もののやり取りということになるとそこにルールが現れる。結局ルール
のない争いをけんかと言うのかもしれない。昭和という時代にはデモ、ストライキ、学園闘争と
いう社会的な闘争も頻発した。これも一種のけんかかもしれない。そう言えば、けんかのやり
かたについての本もあったような気もする。調べて見ると、太田薫元総評議長の著書にけん
かのやり方と言うのがあった。自分にもけんかの思い出がいくつかある。一つは少年時代の
けんかである。原因はすっかり忘れている。大抵はおとなしくふるまっていたが、なにかのき
っかけで取っ組み合いのけんかになり、殴り合ったり、ひっかき合ったりして鼻血も出した。
子供心にも危機感を感じたけんかで、ようやく五分五分の引き分けで終わった。相手が自分
より強いと思っていたので意外な結果でもあった。本気でやれば強いのかもしれないと思っ
たことであろう。もう一つは社会人になってからの仕事上のけんかである。これもその原因が
よく思い出せない。要するに技術者の信念が衝突した結果がけんかの原因だったかもしれな
い。結構激しく対立したが、大人の分別が働き、けんかが何の役にも立たないことをお互い
身にしみたのか、その後はつき合いが親密になったような気もした。そうして、連名で特許を
出願した事もあったように記憶している。この特許の実用化も量産の前にで没になったが、
けんかとは別の判断の結果であった。太田薫氏と言えば太田ラッパという言葉も思い出し
た。ともかく、衆人の見守る中で正々堂々とけんかをやるのもけんかの基本ルールのように
思える。ところが、最近はだれが、どこで、本気でけんかしているのか見えにくくなっているよ
うな気もする。人間も社会も大人になりすぎたのか。確かに、けんかには若気の至りという側
面もあるのだが。時と場合によってはアドレナリンが分泌する程度のけんかはお互いの脳を
活性化して、けんかの後はその始末をするような努力も生じる。けんかにもプラスの側面が
ある。こういう、人間が長い生存闘争という中で獲得したけんかの効用を封印するのもなに
か勿体ないような気もする。