方丈記切読6:いとしきもの

2010/3/7

方丈記切読6

「假の庵もやゝふる屋となりて、軒にはくちばふかく、土居に苔むせり。おのづから事のたよりに都を聞けば、この山にこもり居て後、やごとなき人の、かくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその數ならぬたぐひ、つくしてこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞかりの庵のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。がうなはちひさき貝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるゝが故なり。我またかくのごとし。身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、たゞしづかなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。すべて世の人の、すみかを作るならひ、かならずしも身のためにはせず。或は妻子眷屬のために作り、或は親昵朋友のために作る。或は主君、師匠および財寳、馬牛のためにさへこれをつくる。我今、身のためにむすべり、人のために作らず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべきやつこもなし。たとひ廣く作れりとも、誰をかやどし、誰をかすゑむ。』」

新築した仮の庵も古屋になった。ようやく、仮住まいにも慣れて、それが自分の生活になっ

た。都は人が多いだけ、変化も激しい。長明さんの生活は今日のスローライフそのものに見

える。少しは、やせ我慢、負け惜しみの感情も無くはないであろが。これもネットの古典通解

辞典を参照:がうなゴウナ (名)やどかり。寄居蟹。寄居虫。枕草子、十二「日ごろはがうなの

やうに人の家に尻をさし入れてなむさぶらふ」方丈記「がうなはちひさき貝を好む」 (Google

検索: がうな 古語 がうなはちひさき貝をこのむ に一致する日本語のページ 約 1,050 件中

1 - 20 件目 (0.34 秒) )。家を造る理由について、自分の身の丈に合った、ヤドカリの背中の

貝殻と同じで良いだろうと割り切った。「身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、たゞしづ

かなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。」と達観したのだろう。確かに人の目を意識

してしまうとそこに、様々な見栄や葛藤が生じてしまう。逆に、長明さんは、どうだい都の衆

よ、おれの生活はうらやましくないかねと見栄をはっているようにも感じないでもない。