2010/4/8
減反
二反ばかりの田に減反の指示がきて食膳に皆笑い怒りぬ
昭和萬葉集16巻。農家の苦悩 減反を怒るの区分にあった短歌である。この巻のタイトルは
万国博と七十年安保と謳われている。昭和44年と45年の歌が納められている。自分の人生
においても大きな節目の時代である。発行されたのが昭和55年で丁度十年一昔という区切
りの時でもある。終戦前後は国民は食糧難にあえいでいた。敗戦から二十年、農地の土地
改良と生産技術も格段に進み、既に米が過剰になったことをこの歌は教えてくれる。二反の
田といえ、食料という基本的な物資を生産して生活の基礎を支えてくれる。戦後の農地解放
で大農家は減って、中小農家が自分の農地を得て、自作農として農業に励んだ事が戦後の
食糧難を乗り切れた一因にあるのではないか。ともかく、減反政策が中小の農家まで徹底さ
れて我が家にもその指示が来たことを、家族皆が集まる食膳で笑い飛ばしている。生活に余
り困らないと思われる心のゆとりがそれを可能にしたのであろう。思うに、終戦後はまだ米の
供出のような事があり、農家であった我が家でも白米を鱈腹食った記憶がない。米選機下と
言われた屑米を米粉にして、それを餅にした粉餅を食べた事を覚えている。一体、農家が作
って食べることができなかった一等米はどこに行っていたのか。今でも、疑問に思う。そんな
事を思うと、この歌の中で笑った人々の顔が見えてくるようだ。本音は最後の怒りぬ一語に
尽きる。二反の米では5~6人の家族の年間消費量程度である。余ってもわずか、場合によ
れば足らなくなる可能性もある。この歌の笑いとは何を馬鹿な事を言っているんだという怒り
の裏返しなのであろう。しかし、その政策には従わざるを得ないという憤りがある。思うに、日
本の稲作は日本の国の歴史と日本人の生命を支えてきた根幹である。原野を開墾して新し
く田を作ってきた。食料を確保できて初めて人口も増加できる。日本の稲作技術は再生可能
な循環型農業の最も優れた方式であろう。稲作のハードは整備されても、政策等のソフト面
は逆にいつも後手後手で浮き草の如く時の流れに身を任せている。農家はもう怒りを爆発さ
せる気力も失せかけている。