アナログ世界:いとしきもの

2010/7/25

アナログいろはカルタ:アナログ世界

え:

■ 縁と月日の末はアナログ世界

いろはカルタに○ えてに帆をあげる○ 閻魔の色事 ○縁と月日 等があるようだ。この三の

札にアナログをひっかけるのにどれを採用すべきか作成時に迷ったようだ。今、読み直して

もピント来ない。 えてに帆をあげるとか閻魔の色事とかは連想しやすい事が多い。 縁と月日

は余りにも一般的過ぎて、逆に何を意味しているのか分かりにくい。縁とはきっかけ、月日と

は時間。それを一所懸命に追い求めてもかなわぬ事が多い。自ずから時期が到来するとい

う楽観論にも通じるようだ。運と縁も類似概念であるがどこか異なる。運には実利的なニュア

ンスを感じるが縁には言い難いDNA遺伝的要素を感じる。何か明確な理由は分からないが

あえて合理的に理解しようとする時に便利な言葉が縁というものか。宗教的には深い意味が

あると思うが。同じような意味で、運(果報)は寝て待てという言葉がある。他力本願的な意味

合いがあるが、好機を待つという状況は通じる。果報は練って待てとは自力本願に軸足を移

しており、運命論から脱却できる契機になるだろう。 縁と月日の末とは、いろいろな事を求め

てさまよったり、時を費やした後のつもりであったようだ。そうして、縁と機が熟してあらためて

全てのものが連続しているというアナログ世界が見えてくるというこじつけであったようだ。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」にこじつけると、縁と月日の末は=国境の

長いトンネルを抜けると、アナログ世界=雪国であったというイメージか。再度読み直した

が、まだしっくりしない。あることわざの解釈に「縁と月日の末」とは「縁と好機とは無理に求

めず、自然に来るのを待つのが良いということ。」と述べていた。この解釈も依然しっくりしな

い。「縁」も「月日」も「末」もしっかりした意味とイメージを持つ単語である。縁とはきっかけと

述べたが、広くは関係とも理解できる。「縁と月日の末」とは物事の関係(距離)の末端と時の

流れの末に到るには長い距離と長い時間が要るのである。更に言い換えると縁とは空間的

関係(物の配列)で月日とは時間的関係(事の流れ)にこじつけられる。ここで思いついた。と

いうより、また同じ様な思考に陥ったのか。物事は熟成を待て。物事は少しずつ少しずつ変

わって行く。急ぐな、あせるな。まさに、全てが連続しているアナログ世界がそこにある。しか

し、そのアナログ世界の末端からその始端を眺めると何と大きな変化の積み重ねがあった

事か。アナログ世界がデジタイズ(デジタル化)されてみえるのである。デジタルとは中間を捨

てる事でもある。デジタルの世を嘆くべきか。