2010/8/15
本日は終戦・敗戦後65年という区切りになる年である。書きためてあったアナログいろはカ
ルタも本日で区切りをつける事にした。過去の記憶をたぐり寄せる作業は何かゴムヒモで物
を引き寄せようとする作業のようでもある。重い記憶は容易に表現できない。太陽を回る地
球のように対象のまわりをぐるぐるまわっていただけのようにも思える。しかし、遠巻きではあ
るが、対象をとらえようとつとめ、そこに一つの区切りをつけて、新しい未来への出発の契機
とする事にはそれなりに意義があるのではないかと思う。終戦・敗戦は日本国民の共通体験
であったが、その体験の記憶も日々遠くなってゆく。共通体験は人間集団の色々なレベルに
ある。共通体験には人と人を結びつける糊のような役割があるようだ。共通体験という大きな
流れと別に、本人だけしか体験できない固有の体験もある。戦争の本当の重く、辛い個別の
体験は本人しか分からないし、本人もあえてそれを具体的に伝える事は少ないようだ。
固有体験は、こういう重く、辛い体験は自分だけでよい、後に続く人々をあえて束縛しまいと
いう配慮等で本人と共に去って行く。戦争を体験した人々の声なき声に耳を傾けてみたい。
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アナログいろはカルタ:青くなる
す:
■ 墨に染まれば黒くなり、ノイズに染まれば青くなる
この一札にもコメントなしであった。いろはカルタに○粋は身を食ふ ○墨に染まれば黒くなる
○ 雀百まで踊り忘れぬ 等があるようだ。説明不要であろうが、 墨に染まれば黒くなるのは
憂き世の真理。ノイズに染まれば青くなるのは技術者の顔色。やばいという技術者の心理で
もある。技術者として色々なノイズに遭遇し、悩まされ、何とかやりすごして来た。自然界に存
在する1/f揺らぎもノイズのひとつであるが自然の奥深さを教えてくれた。ノイズとのつき合い
もまったく無駄ではなかったようだ。
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以下は書き置き後の投稿時のコメント:
イロハの最初と最後の札は始めに出してしまったのでこれが最後になる。いろはかるたにこ
じつけて、気ままに書き留めておいたものにコメントを付けてみた。技術者現役時代からも適
当に時が離れているが、まだ現役時代を振り返る気持ちもあったので当時の思い出をまとめ
たもので、これも一つの区切りとなり、過去はますます遠くなってゆくだろう。単なるイロハカ
ルタでは中身が分からないのでアナログという形容詞を付けて中身を限定した。ところがアナ
ログを日本語であらわすとどういう単語が該当するのか気になっている。辞書をひくと、似て
いる、類似とかの意味があるが、どうもしっくりあてはまる単語に出合っていない。アナログと
いう概念に対してデジタルという概念もある。デジタルに対応した日本語を探してもアナログと
同じ様な事態に遭遇する。アナログという概念には比類・抽象というかなり人間の認識の本
質的な部分が含まれているように感じられる。デジタルという概念にはかなり実用的な割り切
りという概念が含まれているようだ。しかし、アナログ、デジタルという概念の発生を辿ると同
じ所に淵源があるようにも感じる。結局、本来別々の概念ではなく双子の兄弟のように感じ
る。思うに、コトバ自体が人間が発明した最大のデジタル技術のように感じる。コトバはある
概念を表すために切り捨て切り上げを必然的に行ってしまう。コトバはデジタイズの代償とし
て流通、伝達の利便性を獲得する。それを、現代のデジタル技術が益々強化する。一方アナ
ログの本質にはこの世に起こる現象をどのように捉えるかという命題が含まれているように
思われる。何が・どこが・似ているかという命題を言い換えると何が・どこが・違っているかと
いう命題にもなる。切り捨てたり切り上げたりした部分にも光をあてねばならない。ともかく、
類推等アナログ的な手法を意識的に使う事が、技術だけでなく、この世の現象や光の当たっ
ていない部分を自分なりに理解する上で相当役立っているのも事実である。そういう意味で
このアナログいろはカルタは今後の生活にも全く無駄では無かったということになるかもしれ
ない。少なくても仕事上の色々な失敗も楽しく思い出させてくれるだろう。
追記
最近、カテゴリー欄の識別用に画像を貼り付けてみた。カテゴリーの名前を「05アナログいろ
はカルタ<br><img src="http://af06.kazelog.jp/tugiki_ss.jpg"><br>」とHTMLタグを
入れて編集した。これも、いたずらや実験の類である。画像はサーバーに送る。ともかく、画
像をいれるだけでも手間がかかる。自分にはテキストベースが気楽で良い。考えてみると、
画像データは別として、HTMLはテキストそのもののようだ。インターネットの表示のかなりの
部分がこのHTML技術に乗るのだから驚きだ。このアナログいろはカルタのカテゴリーの写
真は桑の接木の写真である。接木もA(穂木)とB(台木)が保有する優れた特性を発揮しつ
つ共生するという技術とみると興味深いものがある。実は半導体素子がその機能を発揮す
る異なる素材の接合という工学的な技術と工学よりはるかに歴史が長い穂木と台木の利点
を引き出す接木という農学の技術との類似性に関心をよせつつ、少しばかりの成功を楽しみ
に日々多くの失敗を繰り返しているのが現状である。