読みかじりの記:二宮尊徳の仕法と仕分

2010/11/5

読みかじりの記:二宮尊徳の仕法と仕分

二宮尊徳という名前にはあまり馴染みがない。二宮金次郎という名前にはあの薪を背負いながら本を読んでいる像と共に馴染みは残る。しかし、戦前とは異なり、二宮金次郎について事細かに教えられたりした記憶もあまりない。学校の校庭の隅に立っていた、二宮金次郎少年の像もいつしか無くなり、台座だけになっていたと思っていたら、いつの間にかその台座の上に二宮金次郎少年の像がまた立っていた。書肆いいだやで閉店直前に買った古本の「二宮尊徳」(岩波新書:奈良本辰也著)を最近拾い読みした。

著者があとがきで尊徳には敬遠したい気持があると書いているが、世間一般もそう思っているように感じる。あの勤勉には勝てないという気持が誰にもあるのだろう。著者は歴史家としてもう一度、二宮尊徳の実像に迫ろうとして本書の執筆をしたようだ。著者は明治期の国定教科書に二宮尊徳を加えた理由として井上哲次郎のことばを引用している。それによれば、二宮尊徳が国民の手本となるモデルとして最も無難であったからである。また、国策として国家に反発することなく、国家的事業を率先して行った手本を示すという面もあったようだ。見方にもよるが、それこそ二宮尊徳の偉大さのたまものだったのかもしれない。国家の教育理念として、農民上がりの一実際家二宮尊徳を中心に据えること自体が当時の日本の実状を示していて痛快に思われる。吉田松陰を候補に上げる人もいたが結局それは実現しなかったとも紹介されている。

著者は二宮尊徳が、祖父、父等と金次郎の関係を歴史的にたどり、二宮尊徳という人間像が形成されるまでを解明して興味深い。なぜ二宮尊徳が多くの農民から慕われるようになったのかという点に関しては、当時の封建社会の知られざる秘密を掴んだからその矛盾の解決ができたのだろうとのべている。その秘密とは自然の法則と人間社会の法則。著者は二宮尊徳に近代社会の萌芽を読みとろうとしているようだ。当時の状況は社会的には江戸幕府も長年の積弊で制度崩壊寸前で、自然面では干魃、浅間山の噴火等の天変地異で農業の不振が続いた。このような大きな問題を解決する方法論を二宮尊徳は実践の中で鍛え上げてきた。これを二宮尊徳は仕法とよんでいたようだ。

今日的に言えば、二宮尊徳の仕法とは社会や財政や民生の再生プログラムであり、巨大な社会プロジェクトであった。二宮尊徳がその仕法を研究したのが今日風には社会再生プロジェクト企画書で、その作成に数年かけている。そのプロジェクトの実際の期間は十年から二、三十年かかるという見積もりの巨大プロジェクトである。このようなプロジェクトに一生をかけた二宮尊徳の姿はあの二宮金次郎少年の像からは想像もできないことであった。

ところが、今日も状況は二宮尊徳が生きた時代に似て、財政だけではなく、社会の基盤となる制度そのものがぎくしゃくして、国民の不信感が募り、目先の問題を処理する為か、パフォーマンスの為か、国を筆頭にあちこちで仕分けが行われている。二宮尊徳が仕法の最初に行うのが人心の安定と人作り。プロジェクトの意義と重要性を理解できなければ誰も従わない。せいぜい面従腹誹で物事はうまく進まない。言葉は似ていても、仕分けは最終的には単に予算という水道栓を出口の前で調整するだけに等しい。井戸を掘り、水路を拓くという再生に必須だが地味な仕事は誰もしようとしない。ここで悲観していても未来はないだろうが...。あの少年二宮金次郎は今でさえ日本中あちこちにいるだろう。彼らは仕法と仕分けのどちらを選ぶだろうか。そんな事を考えるゆとりはないのであろうか。今こそ、第二、第三の二宮尊徳が現れる事を願わざるを得ない。

追記:戦後、破綻した会社を招かれて再生させた名経営者も何人か思い出す。再建を任された経営者にはやはり、何かのオーラがある。そのオーラの源は何か。きっと人を動かす力なのだろうと思うが、力という言葉も抽象概念で、心眼を通さないとその本質は見えない。かつて農民は縄ない、俵編みをいやと言うほどやって来た。二宮金次郎の偉大さはこのような平凡な農民を超えて、人生後半に疲弊した社会・組織の再生を成し遂げた事にあったと今更ながら理解したところだ。また、二宮尊徳の考えに共鳴した多くの後継者・実践者がいることも知った。これが、二宮尊徳という人物が歴史の中で孤立せず、社会的に評価されている点でもあるようだ。