読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(9)

2010/12/27

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(9)

○「純粋な皇室観を」の章

18歳の彦九郎が上京して見た皇居は荒廃の極みであった。また、天明八(1788)年の京都の大火で皇居も炎上した。著者須永義夫は、「幕府は松平定信に禁裏修復を命じ、寛政二年の十一月にほぼその造営を終える。彦九郎はその造営完了と共に上京して新居を拝したのだから、その心情は輝いている。」と述べる。

■そらにきる衣やけさはほのぼのと 霞ぞかかる九重の春
■野辺に出てみればや四方の山々も 雪とけそめて緑をぞ見す
■花や人や花とも見え分かぬ 都の春は錦なりけり
■われをわれとしろしめすそや皇(すめろき)の 玉の御こゑのかかる嬉しさ

著者は、「始めの歌は明けて寛政三年の元旦に岩倉三位具選卿へ新年の賀詞として捧げたものである。次の二首は雪解けが始まって緑してくる山々、都の花時の賑わいを御代の春の晴れがましさとして描いている。彦九郎の純粋な皇室観が直接に伝わってくる歌だ。最後の歌は彦九郎の最も代表的な歌とされている。」「~、直接御声をかけられたように感激し、恐懼してこの歌を詠んだのである。」と続ける。光格天皇が公卿に高山彦九郎の事をお尋ねになったのを知ってこれほどの喜びようであたので、まさに「感激・恐懼」としか言いようがないようだ。最後の歌は太田市の高山彦九郎神社社務所近くに歌碑となって建っているとの事だ。「彦九郎四十五歳、久留米で自刃する二年前の歌である。」

追記:最後の一首は伝聞の形式であり、直接のお声掛けはなかったようだ。やはり、どこかに見えざる大きな溝があったのだろうか。何とか年内にこの読みかじりを終了したい。本日、:(高山)彦九郎 歌と生涯(10)も投稿する。