東北の海よ:大量の放射能汚染水を公海へ投棄するに大義はありや

2011/4/6
昨日は寒暖の差が大きく、スギ花粉の飛散は非常に多いとの予報であった。外出ついでに幾つかの店をまわった。乾電池は店により並べている数量が違うが、不便をしない程度に供給されている。開店・閉店時間を変えたり、照明を間引いたりと色々節電対策を工夫して実施している。電気店をまわると、LED電球の値段もこなれてきているので、試しに60W型を1個購入した。白熱電球の場合は大体定格が決まっているので選択の余地が余り無いが、LED電球の場合(かっこ内は買ったLED電球の定格 )は明るさのルーメン値(350lm)、消費電力(4.6W)、光色(昼白色)等微妙に異なるので選択に困った。節電が目的なので、そこそこ明るく、消費電力が小さいのを選んだ。寿命が40000時間とある。当分電球交換はしなくても済みそうだ。福島第一原子力発電所のピットからの放射能汚染水漏れは、水ガラスという物質を使って海への流出防止効果があったようだ。一方、放射能汚染水の海洋への拡散で、小女子から放射能が検出され販売不能になり、漁民への影響が一挙に拡大した。残念ながら、抜本的な対策はまだ無い。

昨日の天気

TAVE= 9.3
TMAX= 18.2
TMIN= -0.4
DIFF= 18.6
WMAX= 2.6
SUNS= 12.3
RAIN= 0

東北の海よ:大量の放射能汚染水を公海へ投棄するに大義はありや

福島第一原子力発電所のピットから漏れ出る放射能汚染水の流出防止対策が失敗に終わった直後に、今後高濃度の放射能汚染水保管場所がないからという理由で、東京電力は今まで専用施設で保管されていた低濃度の放射能汚染水を公海に大量投棄を始めた。ピットからの流出は目先は原因不明で不可避の部分がある。しかし、管理された危険物容器からの投棄は確信犯に近く、その落差は限りなく大きい。直前までの対策が、後続の行動を正当化する煙幕のように見えてしまう。しかし、これは二度と帰れない道に踏み出した事でもあろう。今日は高度の情報化社会である。日本で進んでいる事態は世界がリアルタイムで見ている。おなじ事をやるのにもやり方があるだろう。太平洋戦争・真珠湾攻撃に関しては宣戦布告無き開戦として日本は永久的な不名誉を背負うことになった。闇討ちを潔しとする国も国民もいないだろう。東京電力が先行して投棄をした事にして、政府はそれを追認するだけでは、日本という国家の国際社会での信用は得られないのではないか。公海への放射能汚染水の投棄を開始する前に政府が自己の責任の元でその事実を公表し、その大義を明らかにして、国際社会の理解を得るべきではなかったか。それは、島国、海洋国日本の最低の義務ではないのか。政府がそういう行動をとれば、漁民もギリギリ納得せざるを得ないだろう。今の状況では漁民の怒りは募るばかりであろう。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:春の息吹き

歌題=春の息吹き:

■奥津城を 払えば漢詩の 浮きたちて うるむ彼方に 夫立ちまする 5 朝倉 紀子

色々な事を思い出させる漢詩を通し情感を抑え、挽歌として一層深みを増している。