老人の寝言:福島原発事故でなぜ、なぜ、なぜを繰り返すと不可解な謎がある

2012/3/2(金)
昨日は晴れ。夕方までに雪は大方消えた。用事で歩いて外出。自転車より徒歩を選んだ。雪景色を楽しみながらデジカメ撮影。赤城山を写そうとしたが電池切れ。ポケットに予備電池を入れているのだが、交換しても電池切れのマーク。とりあえず携帯のカメラで撮影。肝心な時に予備電池が役立たなかった。どうも電池切れになっても充電するのを忘れていて、予備電池があり安心だと思い違いしていたようだ。よくある失敗だが、携帯カメラも常用していないので忘れがちだ。何事も予備があれば安全だがいざと言う時に役立つよう不断のチェックが必要だ。

2012/3/1(木)の天気

TAVE= 6.9
TMAX= 13.1 最高気温(℃)  13.5  14:32
TMIN= 1.7 最低気温(℃) 1.4  03:55
DIFF= 11.4
WMAX= 3.6 最大瞬間風速(m/s)  6.0(西北西)  08:35
SUNS= 10.3
RAIN= 0

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老人の寝言:福島原発事故でなぜ、なぜ、なぜを繰り返すと不可解な謎がある

福島原発事故も予備の電源を喪失したことが原因だ。本当だろうか。事故対策は、なぜ、なぜ、なぜを繰り返せという教訓がある。福島原発事故も放射能が漏れなければ今ほど大きな問題にならなかっただろう。東北地方太平洋沖地震から原発建屋が爆発するまでの間は、原子炉は五重の壁に守られているから安全だという解説がマスメディアで流された。

「5重の壁;。http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E9%87%8D%E3%81%AE%E5%A3%81。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年5月24日 (火) 23:18)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「設けられた障壁が、「燃料ペレット」、「燃料被覆管」、「原子炉圧力容器」、「原子炉格納容器」、「原子炉建屋」の5つであるためこの名が定着したが、原子炉格納容器が設けられていない原子力発電所も存在し、VVER、RBMKなどが例として挙げられる。なお、RBMK型の原子炉は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の炉型として知られている。障壁が設けられているのは原子炉建屋だけでなく、施設内で放射能を伴う箇所全てが遮蔽されている。BWR(沸騰水型原子炉)の場合は、炉心で発生した蒸気をそのままタービンに送る為、蒸気タービンも遮蔽する必要がある。なお、PWR(加圧水型原子炉)のように二重間接熱サイクルを採用した原子炉についてはこの限りではない。」。

しかし、原子炉の五重の壁という安全神話も「原子炉建屋」の爆発と共に吹っ飛んでしまったのが現実だった。

福島原子力事故の社内調査情報(url=http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/interim/index-j.html)(平成23年12月2日 福島原子力事故調査 中間報告書の公表について)で「報告書本編で記載している事項につき、特定の論点に絞る形で詳細に記載している項目や、また本編報告書に記載はないものの、経緯として明らかにした方が良いと考えられるもの等があり、事故に係わる事実を正確にお伝えするという観点では、重要な要素であることから、別冊として、現時点(平成23年12月2日)までで整理できた事項を、抽出・記載しております。 」とその範囲を記している。

以下はその中の「現場作業の厳しさ、困難さを示す現場の状況、声(PDF 491KB) url=http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/interim/images/111202_17-j.pdf」の一部引用である。

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【中央制御室責任者の対応】

平成23年3月11日、14時46分、巨大な地震が、福島第一原子力発電所を襲った。地震の時は、机にしがみついて、運転員に掴まるよう声をかけて我慢した。地震がおさまってすぐに、スクラムした状況は、自席からグリーンランプが見えた。非常用電源(D/G)が起動し、回っているのを確認し、中央制御室のパラメータもOKという報告を受け、このままいけると思った。

その後(津波が襲来した時刻頃)、電源のランプがフリッカし、一斉に消えていくのを目前で見た。
非常用電源が止まり、中央制御室のパネルのランプが、バタバタと消えていく状況だったが、何が起きたのか分からなかったが、津波によるものとは思わなかった。操作員が、「海水が流れ込んできている」と、中央制御室に大声で叫びながら戻ってきて、津波の襲来を知った。

津波の流入と同時に、非常用電源が使えなくなり、中央制御室の照明も、一つ非常用灯(薄暗いわずかな照明)があるのみとなった。

電源を失って、何も出来なくなったと感じた。
他の運転員は、不安そうだった。「操作もできず、手も足も出ないのに、我々がここにいる意味があるのか」と紛糾した。そこで、自分がここに残ってくれと頭を下げ、了解を得た。

中央制御室で放射線量が上昇したため、当直長は、チャコールフィルタ付全面マスクと防護服を装備するよう指示。放射線量の低い2号機側に寄らせ、監視等を継続した。

【ベント作業の困難さ】

ベント作業が、電源を喪失したことから、手動で弁の開放作業をせざるを得なくなった。
しかし、現場での開放作業では、高線量被ばくのおそれもあり、ベントに行ける人間を書き出して、当直長をそれぞれ割り振るように編成した。
完全装備とはいえ、放射線量が高い中を行かせるので、若い人には行かせなかった。

ベント弁の開放作業のため、現場に出かけた。その際、トーラスに近づいた際、ボコッ、ボコッという大きく、不気味な音が聞こえた。弁が、一番上の物であったので、トーラス部分に足をかけ作業をしようとしたら、黒い長靴がズルッと溶けた。
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上記記事は、津波到来以前から、ベントの間の現場作業の一端を示していると思われる。気になるのが、「中央制御室で放射線量が上昇したため、当直長は、チャコールフィルタ付全面マスクと防護服を装備するよう指示。放射線量の低い2号機側に寄らせ、監視等を継続した。」という部分。「中央制御室」はまさに核シェルターと同じで、作業者にとっては最も安全で最後の砦ではないだろうか。それなのに、「中央制御室で放射線量が上昇した」というのはどうしてなのかという「なぜ」がでてくる。常識的には、既に津波ではなく、地震の一撃で、5重の壁かべの「原子炉格納容器」又はそれに連結する配管系に破損が生じて放射能が漏れだしたという状況証拠を示しているのではないか。

それでは原子炉建屋の水素爆発はどうか。当然、水素は冷却が止まった原子炉内の高温反応で生成されている。その水素を逃がさなければ原子炉の爆発につながる。それを防止する対策がベントだろう。一般的には「ガス抜き」と同じだろうが、それを知られては困るのか専門用語を自己防衛の壁に使っているのが実態だろう。水素爆発はなぜ起こったか。当然、原子炉から漏れたと考える以外にない。そうすると、又も5重の壁かべの「原子炉格納容器」の破損無しには考えられない。既に、「原子炉圧力容器」の破損も判明している。「燃料ペレット」、「燃料被覆管」も高温で溶融したようだ。結局、安全神話の5重の壁は全て破られてしまったのが福島原発事故の実態ではないか。問題は地震の一撃で放射能を放出した原子炉の信頼性だ。原子炉を作る物質も強い放射線を連続して長期間あびると劣化が進む。これは自然の法則でもある。行き着く先ははっきりしている。原子炉を使い続けようとしても、いずれ稼働時間よりメンテナンス時間が多くなり、最終的にはコストも合わなくなる。福島原発事故の調査も色々なレベルで行われているが、老朽化した原発の脆弱性は避けて通るべきではないだろう。

以上専門家から見れば当たり前かもしれない。当たり前の知識を一般人に分かりやすく説明するのも専門家の責任ではないか。本当の事を言うと社会的な混乱が起こるという意見もある。本当だろうか。

昨年、「老人の寝言:放射線量の自主測定はどんどんやれ;http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/06/post-2bd3.html(2011/6/17)」と書いた事を思い出した。この一年の間に、放射線量の自主測定はめざましく普及したように思われる。やはり、物事に関心を持ち、データを握り、監視をする人の存在は当局の態度も変えてゆく。東北関東大震災も福島原発事故も風化する前にしっかり調査・記録して、その教訓を後々まで生かす必要があるだろう。