愛しき古里(古代の地域):五目牛橋上流の粕川河床にあるコンクリート遺物

2012年12月30日日曜日
昨日は晴れ後曇り。最高気温(℃) 9.6 12:30 。ざっそう句:ちょっと待て ゆっくり出そう 年賀状。老人モードで年賀状作成。コンビニ印刷の図柄を切ってハガキに糊付け。文面は手書き。手作りハイブリッドハガキという所。よくよく見ると同じのが一枚もない。手抜きのため、住所は市か町以下を書くだけ。それでも時間がかなりかかる。実は郵便番号がどの程度有効に使われているのか試して見たい気持ちもある。宛先分類は機械なのか人手なのかetc。機械の場合数字認識も機械だが設備コストが高くなる。認識ミスが多くなると人が識別する必要がある。それなら最初から人が対応した方が良いのか。プリント基板の自動実装用にパターン認識を使ったチップマウンターがあるが、中国ではこれを人間がしていたと聞いたことがある。郵便屋さんが来て今日は暑いですね声をかけた。完全防寒対策しているとそうなのかも知れない。

2012年12月29日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.8
TMAX= 8.9 最高気温(℃) 9.6 12:30
TMIN= 1.9 最低気温(℃) 1.7 00:51
DIFF= 7
WMAX= 2.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.1(東) 12:14
SUNS= 4.8
RAIN= 2

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愛しき古里(古代の地域):五目牛橋上流の粕川河床にあるコンクリート遺物

当地区は源義経伝説が多い。「五目牛」という地名もその伝説に由来している。以前に、「02A4_古代佐位郡の正倉遺跡(三軒屋遺跡):4.粕川の河床遺跡?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a4-SANGENYA_ISEKI.html) 」という記事を書いた。

最近、用事のついでに、五目牛橋上流の粕川河床にある、コンクリート遺物を再度より近くで見た。左岸の堤防は舗装され、サイクリング道になっている。以前見たのは、左岸からで、河床の物体が、岩石かコンクリートか判然としなかった。今回、舗装されていない右岸に回り、河床に降りてみた。アメリカセンダングサが生えているので、衣類に種子が付着しないよう斜面を降りた。河床に並んでいる物体の一つに、コンクリートの骨材らしい鉄棒が出ていた。他の物体は直方体で、表面には玉石が見えた。これらから、推定すると、河床に並んでいる物体は、コンクリート製と思われる。川の流れに沿って並べられているので、不要になったコンクリート製の塊を水が流れる邪魔にならないように並べて河床に放置したように思われる。問題は、いつ頃、何の目的で、この人造コンクリート塊が作られたかである。

以前、地域の郷土史家に、コンクリートが珍しい時代に粕川にコンクリートの堰が作られたが、そこからコンクリートの破片を取り出して、これがコンクリートという物だと見せあったという話があったと聞いた。更に、堰の話を遡れば、地域のため池である八幡沼に水を引くとき、粕川に外右衛門水車というのがあり、その余水を引いたという話が伝わっている。コンクリート遺物のすぐ近くに大きな自然石が横たわっている。これに板を渡せば水流の向きを変える堰になる。外右衛門水車と、昔粕川に作られたコンクリートの堰に関しては詳細が不明であるが、更に調べれば興味ある事実が分かるかもしれない。この遺物がある粕川左岸から西方を見ると、こんもりとした山にみえる洞山古墳があり、その麓の南東寄りに、牛石がある。河床に横たわる大きな自然石は、五目牛の牛石を思わせる。地質学的には同じタイプかもしれない。
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