残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地

2013年6月27日(木)
昨日は曇り後雨。最高気温(℃) 23.5 10:32。ざっそう句:菜園に オクラが無けりゃ 夏は来ぬ。畑仕事をしようと外に出たらすぐに雨が降り出した。運良く、台所から海苔の筒に入れた昨年採取した野菜の種が出てきた。昨年オクラは二回目を6月初めに播いたので、それより1月ほど遅れている。オクラがオクレテルではギャグにもならない。とりあえず、ポットに種を播いて屋内へ退散。それにしても、種子を海苔の筒に入れて台所で保管したのが失敗。ともかく、オクラ入りにはならなかったので運が良ければ夏の食卓に間に合うだろう。

2013年6月26日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.9 NO DATA
TMAX= 23 最高気温(℃) 23.5 10:32
TMIN= 18.8 最低気温(℃) 18.8 24:00
DIFF= 4.2  
WMAX= 3.4 大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.2(東) 17:32
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 36.5 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地

その第1番目の別行に「忠次の妾おとくの居候した一倉家の墓地」という書き込みがある。その日程に従って訪問した墓地のデジカメ画像も残っていた。WEB上には墓地訪問の記事が見られるが、自分にとって墓地訪問はなんとなく重苦しさを感じる。

「おとくさん」こと菊池徳に関しては、「国定忠治を男にした女侠 菊池徳の一生 高橋 敏著  朝日新聞社」に詳しい。「おとくさん」の事を知ったのもこの頃だったと思う。

「国定忠治生誕200年(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/10/post-a263.html)。(2008/10/18)」

Cさんも自分の足で、菊池徳について調べていた。菊池徳は「国定忠治を男にした女侠」と勇ましい肩書きを貰い、キャッチコピーとしては人目を引くが実際はどうだったのか。Cさんは菊池家の現当主・元町議の方に講演を依頼したとのことだったがついに実現できずに終わってしまったようだ。前記書物の内容は、地元群馬の女性菊池徳を通して、当時の女性の生き様を教えてくれる希有の内容だけに、肩書きだけは残念だ。

たまたま、「五目牛南組遺跡(歴史時代遍) 編集・発行/(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 平成4年11月30日発行」を見ていると、「(3)特論 A 近世村五目牛と四農家の素描  高橋 敏」という記事が掲載されていた。同書から、高橋 敏の所属・肩書き等は不明だが、整理協力者の筆頭にリストアップされている。遺跡の調査報告書にこのような記事が掲載されるのは珍しい。しかし、二度と不可能な破壊調査において、このような記録が残された事に敬意を表したい。この報告書も、菊池徳を歴史的に・客観的に理解する良い参考書ではないか。

墓地は特異な空間ではあるが、完全に閉ざされた空間ではない。善意でそこを訪れる人々を拒絶まではしていないと思う。訪れる者もそこから何かのメッセージを受け止めようとするのではないか。そんな事を思いながらの墓所巡りではあった。
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