2015年6月20日(土)
昨日は雨が降ったり止んだり。最高気温(℃) 20.9 10:01。最低気温(℃) 17.5 15:23。ざっそう句;雨安居や ふと人生の 縁思う。宅内閑居。畑の草は元気良く育っている。野暮用の預かり物。回覧板。先日作成した音声CDを渡す。ダウンバーストで損壊したソーラー発電所の後かたづけの様子をみた。足場パイプを組んでその上にパネルを設置する構造だったようだ。小雨の中を数名が作業をしていた。何とか法人と名乗って、先日の突風被害でも保険金が出るのでアンケート調査に協力をというような電話が来た。コンピューター方式で数字を押して回答を促す。巧妙な詐欺電話の疑いがあるのでそのまま聞いていると何のアナウンスも無くプツンと切れた。個人情報を収集してそれを悪用する可能性もありそうだ。WEBメールがプロバイダーに届き送信サーバーの設定情報の連絡が来た。その通り再設定すると送信できた。気温が低く、宅内でじっとしていると寒く感じる。厚着にした。
2015年6月19日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 18.6 | NO DATA |
TMAX= | 20.9 | 最高気温(℃) 20.9 10:01 |
TMIN= | 17.9 | 最低気温(℃) 17.5 15:23 |
DIFF= | 3 | NO DATA |
WMAX= | 3.2 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.1(東) 15:11 |
SUNS= | 0 | NO DATA |
RAIN= | 8.5 | NO DATA |
Q
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半端道楽:写真で俳句る(写真+凡句):ちょっと弱々しさを感じるが?(ちょっと逃げ ちょっと佇む 子野良猫。)
先日、畑仕事をしていると、ジャガイモ畑の近くで、三毛の野良猫らしい猫が休憩していた。目を合わせても逃げる気配が無い。我が家の周辺にたむろしている野良猫は、野性的で貫禄十分の野良猫がいる。多分、地域のボス・親分クラスかもしれない。
野良猫が、集団生活するかは分からないが、繁殖期には、二三匹が集まり、鳴き合っている事もある。今回見た、野良猫らしい猫が本当の野良猫かは不明だが、なにか憂鬱感を漂わせている。一匹だけでふらりとやって来たようだ。
近づくと、通路の端に立ち去り、下を向いてしまった。どうも、体格が良くないようだ、まさに腹を減らした痩せ猫風にも見える。野良猫の世界は、実力主義で、弱い者は餌にも十分ありつけないのか。飼い猫なら、もう少し体格が良く元気だと思うが。
最近、「子供の貧困」という言葉を良く聞く。この言葉を聞くと、寒々した気分になる。貧困の原因を子供に押しつけているように聞こえてしまう。こんな言葉が流行る社会こそが、真の貧困社会ではないか。
Googleでキーワード「子供の貧困」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E8%B2%A7%E5%9B%B0)。
昔は、生活が豊かでなかった。その分、「貧困」を意識する事も、現在より少なかったように思う。昔も、貧富の差はあったが、子供同志は分け隔て無く一緒に遊んだ記憶がある。喧嘩、虐めもあったが、それは子供の世界にとどまっていた。子供の喧嘩に親が口出しをすると、子供の喧嘩に親が出ると言いからかわれた。そのような子供の喧嘩は、ハシカのような物で、それで殺傷沙汰になった事は無かった。学校を長期欠席していた仲間を自宅まで呼び出しに行った記憶もある。
子供同志が助け合う気風があれば、それが一つの安全網になる。多分、現在は子供同志が自分の敵という意識が支配しているのではないか。まさに、大人の世界の論理が子供の世界を圧迫しているのではないか。子供の世界が、野良猫の子猫の世界のようになってしまったのか。経済的な貧困の前に、人間精神の貧困化はないか。