このKWで検索2017年12月7日(木)
昨日は晴れ。ざっそう句;初氷 割れど進まぬ 水仕事。今日は畑仕事をどうしようかと考えつつ外に出た。とりあえず、大根でも収穫しようとした。大根の葉は濡れている。霜が溶けたようだ。水仕事用のプラ容器に薄く氷が張っていた。エイヤーと柄付き束子でその氷を砕く。結局、大根の収穫をあきらめて引き返す。毎朝、寒さをガマンして新聞受けまで、新聞を取りに行くが、急激な寒暖の変化は老体には好ましくないようだ。お悔やみ欄を見るのが新聞を開く主目的だ。お悔やみ欄のお世話にならぬよう注意しよう。最近、中央紙は軒並み発行部数を減らしているようだ。一方、ほとんど部数を減らしていない地方紙もあるようだ。地方密着型の紙面構成にして、第一面に地方記事を持ってくる。お悔やみ欄を充実させる。色々、読者離れを食い止める涙ぐましい努力が部数低下を阻止しているようだ。ニュースの速報性では、新聞はラジオ、テレビの電波メディアにはかなわない。昨日、NHKの受信料徴収が合憲か否かという裁判に対して、最高裁が合憲という判断を示した。NHKが公平無私で中立かという点に関しては議論が尽きない。見方によれば、巨大な利権組織でもある。公平無私で中立、国と国民主張をバランスさせるためには大幅なダイエットが必要ではないか。極論すれば、ラジオ、テレビのチャンネル幅を半減し、人員も受信料も半減させ、常に緊張感を持った経営を徹底すれば、国民からあまねく支持を受けるのではないか。現在の金満体質のNHKでは何が起こっても不思議ではなくなっているのではないか。半減させたチャンネル幅や人員設備等は、国民のための第二NHKとして、新しいサービスを創出させるべく国民・NPO・NGO等に解放したら如何か。新聞雑誌書籍等の紙メディアは衰退傾向にあるのは疑いない現実ではないか。テレビラジオ等の電波メディアも、紙メディアと同じ道を辿るかも知れない。現在、成長しつつあるのが、インターネット分野の事業だろう。インターネットのメリットはその分散性だろう。万万が一、戦争になった場合、数本の電波塔が爆破されただけでも、国内は大混乱に巻き込まれる。電波メディアの弱点だ。昼前から用事外出。年末年始の対応準備。スーパーで買い物。イベント参加。その後、知人とコーヒー。雑談が楽しい。ついでに頼み事。帰路、もう一軒スーパー。
CEEK.JPでキーワード「NHK」をニュース検索(http://news.ceek.jp/search.cgi?q=NHK&way=)(このサイトへのリンク)
Googleでキーワード「NHK 最高裁 判決」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&num=20&q=NHK%E3%80%80%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E3%80%80%E5%88%A4%E6%B1%BA)(このKWで検索)
Googleでキーワード「電磁パルス攻撃」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&num=20&q=%E9%9B%BB%E7%A3%81%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B9%E6%94%BB%E6%92%83)(このKWで検索)
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愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(9):今年生誕135年を迎えた矢島保治郎の墓
Googleで矢島保治郎を検索するとかなりの情報が得られる。矢島保治郎の生誕地の近くで生まれ育ったが、退職するまで矢島保治郎の事は全く知らなかった。
原ファイル名=「IOB_2017_YAJIMA_NOBORU_NO9_地域の教育力の源泉を探る.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
Googleでキーワード「矢島保治郎」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E4%BF%9D%E6%B2%BB%E9%83%8E&oq=%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E4%BF%9D%E6%B2%BB%E9%83%8E)。(このKWで検索)
矢島保治郎生誕130年記念の前後は、色々なイベントもあり、矢島保治郎の概要も広く知られようになったと思う。だが、なぜ矢島保治郎がチベットや外国に目を向けるようになったのかという動機の部分に謎を感じている。
Googleにてキーワード「矢島保治郎」で本サイト内を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%80%80%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E4%BF%9D%E6%B2%BB%E9%83%8E%E3%80%80site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F&oq=%E3%80%80%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E4%BF%9D%E6%B2%BB%E9%83%8E%E3%80%80site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)(このKWで検索)
WIKIPEDIA「矢島保治郎。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E4%BF%9D%E6%B2%BB%E9%83%8E)」(このサイトへのリンク)に、ある程度詳しい事が書かれている。
WIKIPEDIAには、「群馬県佐位郡殖蓮村大字上植木(現・伊勢崎市本関町)の裕福な農家の三男に生まれる。群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を中退後、日露戦争に従軍。乃木希典率いる第三軍で旅順攻囲戦に参加し、突撃隊である白襷隊にも志願した。」と書かれているが、中退の理由は何だろうか。
軍隊に入ってから、「。しかしこの頃になると矢島は、当時ベストセラーとなっていた河口慧海『西蔵旅行記』に大きく刺激され、アジア横断無銭旅行を志すようになっていた。~俺は神武天皇の従者になってロシア征伐に行くんだ」などと抗弁するなど狂人のふりをするようになる。これが功を奏し、1907年(明治40年)12月に除隊。」とある。
このような記述から矢島保治郎の行動を見ると、軍隊へ入り出世しようという意図が感じられない。実は、たまたま上植木神社へ行き、日露戦争記念碑の裏面に矢島保治郎の名前をみつけてびっくりした記憶がある。上植木神社は、上樹神社が正しいのだが、念のため上樹神社のお札を見て初めてそれに納得した。矢島の「島」は「嶋」という文字になっていたと記憶している。墓碑では矢島昇も矢「嶋」昇となっていたと思う。
この、矢島昇と矢島保治郎は、同じ姓、同じ町内に在住したという共通点がある。それから、この両者の年齢を比べると師弟の差程度の年齢差があったという事が、この記事を書くキッカケになっている。これは仮説に過ぎないが、矢島保治郎の世界を目指した行動が実現したのも、この地域の教育力が現れた結果かもしれない。
愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(8):三和町堤区の共有墓地にある筆塚?;寒風が 頻尿招く 座業かな。171206。を読む
愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(10):矢島昇と矢島保治郎は小学校の師弟だったか?;煤払い 左右入れ替え はい終わり。171207。を読む
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2017年12月06日 伊勢崎(イセサキ) | ||
TAVE= | 6.4 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の平均値 |
TMAX= | 11.7 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値 |
TMIN= | 1.8 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最小値 |
DIFF= | 9.9 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値と最小値の差 |
WMAX= | 4.5 | 毎正時のアメダス観測値(風速)の最大値 |
SUNS= | 9 | 毎正時のアメダス観測値(日射)の合計値 |
RAIN= | 0 | 毎正時のアメダス観測値(雨量)の合計値 |
1日の極値 | データ | 時刻 |
最低気温(℃) | 1.2 | 6:28 |
最高気温(℃) | 11.8 | 14:01 |
出典=気象庁 | 参照⇒ | AMEDASへのリンク |
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) | 8.4(北西) | 0:09 |
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CEEK.JPでキーワード「NHK」のニュース検索(上位100件=新しい順):検索日=20171207-0718
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