身辺雑記:田舎老人徒然草:お盆で思い出す日本の敗戦と軍国主義復活の不気味さ;悪霊の 手をも借りたい 鬼退治。180814。

2018年8月14日(火)
昨日は曇り一時晴れ。ざっそう句;悪霊の 手をも借りたい 鬼退治。いつもより早く始まる用事外出。軽く朝食。新聞は休刊日でパス。いざ出発。仲間数人も集合。昼までの時間が長い。かみさんからケイタイ。仕事中なので何かと思った。実は不意の来客があったとの事だ。次に来客の携帯番号がメールで入り、そちらへケイタイをした。数年前のことで、かつ高齢の関係者数人の事なので、記憶が曖昧となり始末が悪い。何とかオレと無縁らしい事が分かってホッとした。昼飯はコンビニ弁当。解散後、少し時間がありタウンウォッチングへ。思いつきで次の場所へ向かう。思いつきがヒットした。次も思いつきでスーパーのウォッチング。お盆用の商品も並んでいた。夕方帰宅。空には怪しい積乱雲が見えた。それをデジカメに納めた。雷鳴が聞こえたが遠ざかった。夕食が用意済みだったので助かった。余りの暑さに今年は蚊も少ないと雑談で聞いた。蛙の鳴き声、蝉や蟋蟀の鳴き声も少ないように感じる。蝉は、カナカナが少し鳴いた。珍しい。今日は伊勢崎空襲があった日だ。

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身辺雑記:田舎老人徒然草:お盆で思い出す日本の敗戦と軍国主義復活の不気味さ

百均の写真立てに入った戦前に撮影された、我が家の家族の集合写真がある。父の出征時に撮影された物らしい。自分が生まれる前の物なので、もう相当古い。

戦後数年経て同じ集合写真を撮っていたらこの写真はどんな写真になっていたろうかと漠然と考える。父は、傷病兵として内地に転戦し、敗戦を迎えていたので何とか戦死せずに助かった。転戦の目的は内地防衛であった。

終戦後、子育てが終わって、生活が安定してから、父母は父島・母島を観光で巡った。生きて帰れたお陰だ。点線の前に、父は父島で従軍していた。父母は激戦が行われた戦場の島を、生きて二人で見られた事に、どんな思いを抱いたか今は知る由も無い。

Googleでキーワード「小笠原 父島 戦争」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E3%80%80%E7%88%B6%E5%B3%B6%E3%80%80%E6%88%A6%E4%BA%89&hl=ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0)(このKWで検索

お土産に買ってきた、珊瑚の塊が茶箪笥の隅に残っている。父が敗戦で除隊になった時から新しい我が家の歴史が始まった。そうして、進駐軍が来た時の話を聞いた。

「身辺雑記:田舎老人つれづれ草:進駐軍が太田はどこだと聞いた?!(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/08/post-bc1a.html)。(2015年8月14日 (金))」(この記事へのリンク

本日は、伊勢崎空襲があった日でもある。戦争の体験は、日々疎くなる。そこへ、軍靴の音が忍び寄ってきているように感じている。NHKのドラマに怒鳴り散らす場面が頻繁に出て来るようになったのは錯覚か。

ボタン一つでも掛け替えれば全て軍事国家に通じてしまう、見かけだけの平和が進んでいないか。父が良く語ったのは、戦友の新井正明氏と上官の佐藤幸徳少将の話である。この話を通して父は何を伝えようとしたのか。


Googleにてキーワード「新井正明OR佐藤幸徳」で本サイト内を検索(このKWで検索

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN 瞬低T 瞬高T 瞬風
DATA 673.2 139 226 87559.0 28.1 32 25.5 6.5 4.8 1.5 0 25.3 32.8 9.3(北西)
時刻等℃   D m/s H mm 23:35 15:51 17:54
2018年08月13日 伊勢崎(イセサキ) AMEDASへのリンク


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