2019年10月3日(木)
昨日は晴れ。ざっそう句;満天の 夜空を揺らす 虫の声。朝方、知人より携帯あり。我が家の畑で菜園をしていたが、撤退してからしばらく経つ。ウド作りに使った籾殻が置きっ放しになっているので片付けに来るとの事であった。自分も畑に出て、籾殻の運び出しの指示等を行う。その後は昼まで雑草退治。皆で昼飯。午後から真夏日になり畑仕事は休憩。夕方前、運動を兼ねて超老人モード・徒歩で配り物に出かける。まだ明るいが、反射タスキを掛ける。初秋の風景をデジカメに納める。街路樹のアメリカ花水木がウッスリと色付き始めていた。神社に奉納された幟の人名を読む。幾つか知っている人の名前があった。雲は薄いが空が見えない。徐々に日が落ちてくる。暗くなるにつれ虫の鳴き声が徐々に大きく聞こえてきた。関西電力の経営者幹部の汚職に関する調査結果が出たようでニュースが流れた。菓子折の下に金貨が入っていたとかまるで時代劇のようなエゲツの無い事が堂々と行われていた。金品を渡した助役は既に死亡している。死亡後、相当な期間が過ぎて、消費税増税実施時に合わせて発表された。明らかに、目立たないような発表時期選定が行われたように妄想される。死人に口なしである。大企業や政治がらみの事件の裏に死人ありだ。毎度の事だが、トヨタのリコール発表も同じ手口で、大ニュースに合わせてリコール発表時期を決めているかのようで、悪質と言わざるを得ない。
NHKは、「トヨタ自動車 5車種で燃料ポンプなど不具合 52万台余リコール。;url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190919/k10012089631000.html。(2019年9月19日 16時46分)」というタイトルで、「トヨタ自動車は「ヴォクシー」や「ノア」などの5車種で燃料ポンプや座席に不具合が見つかり、合わせて52万台余りのリコールを国に届け出ました。リコールの対象となるのはトヨタ自動車のワゴン車、「ヴォクシー」、「ノア」、「エスクァイア」、「アルファード」、「ヴェルファイア」の5車種、合わせておよそ52万2300台です。製造期間は車種によって異なりますが、平成25年12月から去年7月までです。」と報じた。
************************
半端道楽:老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:太田市の東山道発掘現地説明会に行った
当殖連地区は、合併前の旧伊勢崎市北部と旧赤堀町に南部地帯間に存在し、その境界線に近い所を、奈良時代の国道の東山道が通っていると聞いてきた。源義経がこの東山道を下って奥州に落ちたという伝説も伝わっている。だが、旧伊勢崎市南部にも別ルートの東山道があると言う話しも聞いて、いささか混乱気味になっていた。
原ファイル名=「IOB_2019_OOTA_SI_TOUSANDOU_OOTA_太田市東山道遺跡発掘現地説明会20190929.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
「02A4_古代佐位郡の正倉遺跡(三軒屋遺跡) (http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a4-SANGENYA_ISEKI.html)。()」
「060_北関 伊勢崎アクセス(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/060_KITAKAN_ISESAKI_A.html)。()」
「三軒屋遺跡の講演会(改題):愛しき古里:「上野国佐位郡正倉跡」として国の史跡に指定された三軒屋遺跡。081123。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-3f1a.html)。(2008年11月23日 (日))」
「02A5_三軒屋遺跡シンポジウム2011/11/13(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a5_S_ISEKI_SIMP_20111113.html)。()」
たまたま、上毛新聞に太田市が東山道発掘現地説明会を行うと言う記事が出たので、見学する事にした。そこで、太田市のホームページを見て、現地が溜池町である事を確認してから現地に向かった。幸い、案内看板が出ていたので無事に現地に到着出来た。二回目の説明会が終わろうとする頃受付をして、二回目の最後に付いて回り、三回目は最初から説明を聞いた。
説明員と説明を聞く人の集団から離れた所に一人の担当者らしい人が立っていた。そこで、我が伊勢崎市の旧赤堀町を通る東山道について聞いてみた。今回、発掘された東山道の方が古く、考古学的にはほぼ確定されたらしい。東山道には幾つかのルートがあり、東山道の予想ルート上で発掘された遺構が幾つもあるのがその論拠のようだ。
また、今回の東山道の、使われた期間は50~100年間と意外に短い期間であったとの事である。道路の幅は12mで、北側の側溝は潅漑用の用水路として使われたとの事である。南側側溝は溜まり水が少ないが、北側側溝の溜まり水は多かった。その用水路は東山道を斜めに横切っていた。これじゃあ、道路の機能は生かせない。
尚、現地の西側には工場があり、今回の発掘は工業団地拡大のために行われたようだ。現地から東方を見ると、遠方にこんもりと樹木が茂っている場所がある。現地で合った知人によるとそれが東山道公園との事であった。見学後に、東山道公園へ二人で行ってみた。その公園の北側に大きな溜池らしい物があった。
その公園の休憩場所に、見学を先に終えた先客男性が二名休んでいた。その一人は地元の事に詳しく、東山道が発見されてからこの公園ができて、公園として保存されているとの事である。その情報から改めて説明会の写真の遠方を見ると、発掘された東山道の直線上に公園があるように見えた。その男性によると、この地域の土壌は痩せていて農業に不適との事である。稲作地帯と言うより畑作地帯に近いようだ。工業団地には向いているのだろう。
発掘された東山道は、説明会が終わると埋め戻されてしまうらしい。最後まで残った見学者は、市当局の担当者に勿体ないから現状のまま保存できないかと質問していた。多分、説明会の開催は、次の埋め立て・工業団地造成の号砲に近いのだろう。既に、説明会受付会場の南側には土建業者の作業場が出来て看板が出ている。
************************
https://ja.wikipedia.org › wiki › 日本の古代道路
日本の古代道路(にほんのこだいどうろ)は、古代日本の中央政府が飛鳥時代から平安時代前期にかけて計画的に整備・建設した道路または道路網を指す。地方では 6–12 m、都の周囲では 24–42 m に及ぶ広い幅員を持ち、また、路線形状が直線的である(時に直線が 30 km 以上)という特徴を持つ。当時の中国(隋・唐)における道路制度の強い影響が想定されている。直線道路は、まず7世紀初頭の奈良盆地で建設されはじめ、7世紀中期ごろに全国的な整備が進んでいった。 ..... 道路幅は、発掘調査によれば 6 m であるケースが多いが、必ずしも規格が設定されていた訳ではなさそうである。
************************
項目 | 日積温 | 残日 | 通日 | 通積温 | TA | TX | TN | TD | WX | SN | RN | 瞬低T | 瞬高T | 瞬風 |
DATA | 568.9 | 90 | 275 | 113242.9 | 23.7 | 30.8 | 18 | 12.8 | 2.7 | 9.7 | 0 | 17.9 | 31 | 5.8(東) |
時刻等℃ | 日 | D | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | m/s | H | mm | 04:49 | 14:00 | 14:26 | |
2019年10月02日 伊勢崎(イセサキ) | 1年の | 75% | 経過 | AMEDASへのリンク |
今日は何の日~毎日が記念日~:このサイトへのリンク
00001_アクセスランキング記録2019-PART2
00001_アクセスランキング記録2019-PART1
************************
CEEK.JPでキーワード「関西電力」のニュース検索(上位100件=新しい順):検索日=20191003-0741
************************