身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:嗚呼こんな筈じゃなかった;親子のすれ違い:;人生は お任せなのだ 何もかも。20230531。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年5月31日(水)
昨日は晴れ。アメダス最高気温TX=30.1℃、14時で真夏日になった。
ざっそう句;人生は お任せなのだ 何もかも。
カレンダーに予定が書かれていたがぐーたらに過ごした。マンネリ化とは良いことなのかそれとも危険な予兆なのか。人間の寿命が伸びたのもマンネリ化の賜物か。明日食べる物があれば安心だ。食糧が相当あれば、毎日の食糧を確保するためのストレスは減少する。最近の親子の関係はかなりリスキーになっているようだ。これは、身分や収入にはよらず、かなり広範な問題のようだ。だが、社会は親子の関係まで切り込めない。その・社会の一部を切り出して扱うのが精一杯のようだ。野鳥だって餌を雛まで運んで口移しで育てているのだが、人間はそんな本能を忘れてしまったのか。

Iob_20230531_
原ファイル名=「IOB_20230531_人生は お任せなのだ 何もかも.gif」

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:嗚呼こんな筈じゃなかった;親子のすれ違い:20230531。

終戦直後は、食糧や生活物資が逼迫して、闇市や買い出しで生活を守るのが当たり前だった。青年時代は、秋葉原のラジオ街へ買い物や見物に行った。軍の放出品を路上で売り始めたのが秋葉原のラジオ街の発祥だと言われている。電車の中には大きな袋やカゴを持った行商人らしい客も混じっていた。子供の頃は、姨捨山の話を聞いて怖がったが、地域の老人や子供は、貧乏だったが生き生きと生活していたように感じた。中には、闇米に手を出し失職した公務員もいたようだ。その逆に、闇米を断って餓死した公務員もいたようだ。WEB情報(https://ja.wikipedia.org/wiki/山口良忠)によると、「太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代に、闇市の闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調で餓死したことで知られる。 」との事だ。

ともかく、戦後の食糧難の時代は日本人の原点として忘れてはならない歴史である。一方、戦時中でも、戦後でも、あるところには高級食料品も豊富にあったという話を聞くとこの世の中の不条理に憤慨してしまう。

自分の子供に、苦労をさせず、ウマイ物を食べさせようとするのも人情かも知れないが、特権・公権力を背景にそんなことを正々堂々と行ってはいささか平民の反発を買うのはやむを得ないと思われる。そもそも論だが、なぜ個人の不適切な行状が漏れてしまうのか。ともかく、時代の構造が変わってしまったのかもしれない。嗚呼こんな筈じゃなかったと思っても時計の針は逆回転しないのだ。

嗚呼こんな筈じゃなかったと親子のすれ違いは世界中のどこにでも起きているようだ。思うに、親子が住む時間と価値観という空間は全く異質になってしまっているいるのかも知れない。そこには、異次元の少子化対策云々とか言う役人の作文では絶対実現出来ない問題がある。

それなら、親の次元と子供の次元は合体・統一出来るのか。もう、世襲優越の時代は終わりそうだ。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 569.9 215 150 40474.4 23.7 30.1 19.5 10.6 5.3 9.5 0
時刻等℃ 14 5 10 63.33 mm
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ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
伊勢崎 2023年5月30日(1時間ごとの値)


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