2008/11/9
ヨイトマケの記憶
ヨイトマケという言葉をいままでほとんど意識しなかった。家を建てるとき地固めの為に行う基
礎工事である。母によれば、自分が3~4才位の幼児の頃の話らしい。おじさんの家が建つ
ので丁度、地固工事が行われており、その工事のかけ声をまねて遊んでいたという。そのま
ね声が「えーんじゃら」とかだったようだ。数人の作業者が滑車のついた綱を一斉に引っ張っ
て大きな重い槌をドスンと地面に落として地固めをする。母もその作業者の一人だったかもし
れない。その後しばらくはこの工法が使われたが、徐々に姿を消した。そうして、子供の世界
でも、何かかけ声をかける時「かーちゃんのためなら、えーんやこら」というかけ声が使われ
ていた。さて、このような工法は何というのかを調べるうちに、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」に
行き当たった。その冒頭の歌詞は、
父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに エンヤコラ
である。多分このかけ声はヨイトマケの唄が出る前よりあったのだろう。実は美輪明宏の「ヨ
イトマケの唄」も聞いた記憶がない。土方という言葉がけしからぬと不遇な扱いを受けた歌だ
ったらしい。当時は失業対策事業で道路整備の仕事をする労務者がニコヨンと呼ばれてい
た。日給が二百四十円だったからのようだ。こういう言葉も経済の高度成長とともに消えてし
まった。自分が過ごした学生時代は丁度こういう経済発展にさしかかった時期であった。自
分のヨイトマケの記憶は母がいなければなかったのかもしれない。ひょっとすると、工事現場
まで遊びに連れていったのは曾祖母であったのかもしれない。祖母はまだまだ現役で誰にも
負けずに頑張っていた。孫の子守をする役は無かった。母の記憶を通して当時の記憶を再
体験しているのだろうか。「かーちゃん、太陽は火かい、月は水かい。」と聞いたのはヨイトマ
ケの記憶よりもう少し後で好奇心が盛んになった就学前頃であったろう。