2008/11/1
近道は遠回りか
高校の時は電車通学であった。駅と学校の間は徒歩である。どういう理由か分からないが履
き物は下駄であった。鞄は手提げ式の革鞄。これをぶら下げてからんころんと道路を歩く。
駅の近くが運送屋さんの倉庫。私有地だがこれを横切って行くと近道になるので無断で使わ
せてもらった。ある時、そこで働いている人に、「天下の公道を歩け!」と叱られた。「ここを通
っては駄目だ。」という叱り方ならよく分かる。しかし、「天下の公道を歩け!」という叱り方は
ちょっと聞き慣れない叱り方で、折りに触れて思い出す。ひょとすると、高度の意味を込めた
叱り方であったのではないかと思ったりする。「天下の公道」とは自由に胸を張って正々堂々
と歩くにかなった道のことだろう。君たちは前途のある若い高校生ではないか。私有地を通
おって近道をして、人の仕事の邪魔などしてはならない。他の人たちはちゃんと公道をあるい
ているではないか。人に迷惑をかけて近道をするようでは駄目だぞと諭してくれた一言であっ
たかも知れないのだ。最近は下手に叱ると何をされるか分からないと恐れる余り悪いことも
見て見ぬ振りをしてしまう場合が多い。賄賂も、汚職も、天下りも最終的な目標に達するため
の近道に違いない。ある目標を達成するに公正な手段に従うべき事が基本になる。ほめる
事はもてはやされるが、叱ることは毛嫌いされる。大人になってから叱っても手遅れかもしれ
ないが、幼少期、青年期に適切に叱ってやることは大切であろう。