2008/12/12
ブラジルの友との再会
小学校4年生の時に友達の一家はブラジルに移住した。もう二度と会えないだろう。担任の
先生は学級全員の生徒に作文を書かせて文集にして友達に託した。当時の事でガリ版刷り
であった。団塊の世代で一学級の人数も50名程度いたろう。鉄筆を握りろう紙に全員の作
文を刻み、インクを塗布したローラーで一枚一枚印刷をする。今思うと、教え子の為に大変な
努力をして頂いたことに頭が下がる。自分はいつかこの文集を開いたとき手紙をくれと住所
を書いておいた。それから十数年後、文集のことも忘れかけていた時に友達から結婚したと
の手紙を受け取った。本当にびっくりした。その後、ポツポツと文通したがまた途絶えた。
そんなある日、その友達から電話をもらった。日本で働いているとの事で、エエッと絶句し
た。親戚の家にお客に来るというので、その機会を捉えて再会を果たした。文通開始から更
に十数年経っていた。青年期の息子さんも一緒だった。今後、何をしたいかと聞いたら技術
の勉強をしたいと答えた。それならと、嶋正利著「マイクロコンピュータの誕生 我が青春の
4004」という本を書棚から取りだして息子さんに渡した。自分が感銘して書棚の一等席に並
べていた本である。息子さんはブラジルでは日系三世となる。もうその息子さんにも子供が産
まれている頃かも知れない。ともかく半世紀も前に担任の先生が作ってくれた文集がきっか
けで得難い体験をさせていただいた。これも縁というものか。改めて先生に感謝したい。