2009/1/3
落ち穂拾い
昔は米麦の刈り取りは手作業で行った。田畑のあちこちに取り残した落ち穂が残っていた。
これを、戦力外の老人や子供が拾い集めた。戦力外といっても何か予備役という感じであ
る。集めた落ち穂はちょっとした自家用に使ったように思う。それなりの用途があった。作物
の大切さを世代を超えて伝える役割も落ち穂拾いにはあったようだ。現在はコンバインがき
れいに刈り取りを行い、老人や子供のでる幕もない。コンバインの運転手が高齢化したとき
の心配は誰もが知っているのだが、昔には戻れないもどかしさがある。
以下も昨年の落ち穂みたいなものである。
2008年5月
(1)厨房の使い回しに今日(凶:吉の対)があり
(2)借りパンダ返す時には子もつけて
2008年6月
(1)こやし場のカボチャの方が良く育ち
(2)キスミーと誘うザクロに心揺れ
(3)草むしり蚊をたたく手のやり場無し
2008年10月
(1)税金や次ぎも近いと係り言い
(2)腰痛の腰を伸ばして柿をとる
(3)検診を終えてほうびの素ラーメン
2008年11月
(1)病人のサツマを食いて皆安堵
(2)血圧のデータ並べて思案顔
(3)車イス連れて秋見る観覧車
たまたま拾い残されただけで落ち穂となる。その落ち穂が別の人により別な用途で役立つの
なら落ち穂も捨てたものではないだろう。