先生の笑いの理由

2009/5/23

先生の笑いの理由

高校に入るといろいろユニークな先生に出会った。そのユニークさに応じてニックネームを貰

っていた先生も多かった。ぼっちゃんの世界でもあった。ともかく先生をニックネームで呼べ

るのはそれだけ自由の雰囲気があったからであろう。ニックネームは教師と生徒という関係

を密接にして距離を縮める効果があったようだ。ある先生は、時々はっはっはと笑った。その

先生があるときふともらした。私がこのように笑うのは常に人生を前向きにとらえようとしてい

るからだよというような意味であったと思う。その裏にはつらい事もあったのだろうか。要する

に、いつも苦虫をかみつぶしたような顔をしているより無理してでも笑った方が良いのだと自

分なりに理解した。確かにその先生はいつも穏やかな笑みをたたえていた。今思うと仏像の

顔を連想してしまう。そうして笑うときは高笑いではなくゆっくりとはっはっはと笑った。今ふっ

と、浪越徳治郎の「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」と言う台詞を思い出した。

WIKIPEDIAによると指圧の原点は浪越が「多発性関節リウマチの母の痛みを和らげたいと

いう一心から揉んだり擦ったりするうち、指で押すことで痛みが和らぐことを発見する。」事に

あったようだ。この人の笑いも有名であったようだ。浪越の指圧が母の痛みを和らげるため

に始められたとは知らなかった。ともかく笑いを一つの行として捉えるとそこに人生の深い意

味が込められているように感じる。先生の笑いの真の動機を知る由もないが、諸君くよくよす

るな、笑えば気持ちのゆとりが生まれる。先ず笑おうと呼びかけているようであった。