2009/5/13
ラジオ講座
ラジオ講座には断続的にお世話になった。学習塾に通うゆとりがなかったのでラジオに頼っ
たわけである。講座の開始時に流れる音楽も、もはや頭の中で完全に鳴り響かない。しか
し、この音楽に励まされて眠気を払って耳を傾けた同世代の人も多かったと思う。受験講座
は試験が終わればそこで終わりになる。その点、語学講座は比較的長く続いた。しかし、具
体的な目的がないので余り身につかなかった。会社でTOEICの試験を受けさせられてヒアリ
ングが全く手に負えないことを痛感した。読み書きは何とか並の点はとれた。要するに語学
は文字を介する理解が中心で、音声を介するコミュニケーションに重点が置かれなかったよ
うだ。かって終戦後は米兵があちこち巡回していた。米兵に「オータ」と聞かれたので「太田は
あっちだ」と太田の方角を指差したが、その兵士は井戸の方に向かい水を飲んだという話を
聞いたことがある。「オータ」ではなく「ウォーター」だった訳だ。ともかく毎日少しでも駒を進め
ることは怠惰を寄せ付けないための最良の方法のようである。