2009/5/27
雪隠大工
結婚後は平屋の小さなアパート住まいをしていたが、子どもが出来たので家を新築する事に
なった。資金が無かったので、会社の持家制度を利用して融資を受けた。木造二階建てで、
間取りは色々考えたが、玄関をどこにするかでとまどった。詳細の図面は建築設計士が書い
たが、実際に材木を加工して組み立てるのは大工さんの仕事であった。木材加工は乾燥す
る冬場にやった。乾燥している木材を冬加工すれば完成後の狂いが小さくなるのである。
時々見ていたのは、ベニヤ板に墨で書いた簡単な間取り図だけであった。俺は雪隠大工だ
からといつも謙遜していた。しかし、立派な仕上がりであった。最近、ある機会にその大工さ
んに幼少時代の話を聞いた。父親も大工であったが、別の大工の所へ7年間年期奉公で修
業に出されたとの事であった。また、若くして父を亡くしたとの事であった。年期では食事だけ
は親方がだしてくれるのだそうだ。他人の釜の飯を食う事と技術を修得する事は職人の世界
では表裏一体であったようだ。職人は請け負い仕事が出来てようやく一人前になる。たとえ、
雪隠であろうと手抜きはしないという自負心が雪隠大工という自称に込められていたのであ
ろう。