2009/5/26
論語と算盤
渋沢栄一の著作である。渋沢栄一と論語と算盤がどういう関係があるのか興味を持ってそ
の本を買った。社会人になって技術書の無味乾燥に飽きた頃の事だろう。算盤とは実業家
であった渋沢栄一の価値基準の象徴のように思われた。実業家渋沢栄一論語を語るという
キャッチフレーズを短縮した感じである。論語については色々是非が語られているが、息の
長い中国の思想ではある。かっての中国では、批孔批林等と徹底的に批判された。本音は
批林にあったのかも知れないが。ともかく、孔子は今日風に言えば一種のロビィイストで、影
響力のある支配者を自分の思想で動かそうとした人物であったようだ。影響力のある支配者
は金や権力はあるがおつむが少し劣る。しかし、幸いにもおつむが少し足らないと理解する
者は優秀なおつむを拝借して自分の足らざる所を補おうとする。そこに孔子の出番がある。
今日のロビィイストの行動原理は必ずしも明確ではない。思想ではなく情報ギャップで金儲け
をするだけかもしれない。その相手も思想などどうでもよいという御仁なのかも知れない。とも
かく、今日では文字通りの実業家も珍しくなったようだ。虚業に明け暮れしているのか。もし
かして、論語も算盤も、そんな物は観たことも聞いたことも無いのかもしれない。ともかく算盤
(経済)を深く追求してゆくと論語(人道)に至るという事なのだろう。財界の片隅にごく少数だ
がそういう人がいるようだ。しかし、当世の大方の経済人は算盤合わせに精一杯で、論語を
振り返るゆとりさえないのかも知れない。その算盤も時には灰色でパチパチと気持ちの良い
響きがしないようなのだ。