2009/8/30
自己主張
自分が存在するという事に気付くことは非常に大事だ。天上天下唯我独尊、我思う故に我あ
り等自分を見つめさせる貴重な言葉もある。論語には吾れ日に吾が身を三省すという一節
がある。自分を認識できるのはその存在を抜きに考えられない。しかし、自分が存在してい
ることはそこに他者がいないこと他を疎外しているいる事も確かだ。異なる物が同一の空間
を占めることはあり得ない。これは古典物理学の世界である。しかし、量子力学の世界像で
はそうでもなさそうだ。物質は常に動いている。そこにあるのは確率的な現象である。同じ空
間に異なる物質があるように見える場合がある。ともかく、極微の世界でも何か現象が起こ
るには物質と物質が干渉しなければならない。一つ一つが認識できる個とそれが干渉し合う
集団の関係はこの世の尽きることのない本質なのかもしれない。朝永三十郎という哲学者の
著作に『近世に於ける「我」の自覚史-新理想主義とその背景-』というのがあることを知
り、いまそれを思い出した。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士の父である。朝永
博士の量子物理という本も学生時代に購入したが歯が立たなかった。ともかく、親、子、孫と
世代、家系を通して何が伝えられたかも興味がある。分野は異なるが物事の本質を突き詰
めるという気性には共通するところがあるようだ。数人の欧米人がレストランで注文すると
き、他人と異なる肉や卵の料理法を指定するのを見て、自己主張をするのも大変だと思った
事がある。日本人の場合、最初にこれが良さそうと言いつつ最後には皆同じになってしまう
場合が多い。確かに、個人が自己主張して、違う物を食べれば、集団として得る情報量は多
くなる。しかし、別々だとその情報を共有する為にはコミュニケーションが必要になる。皆が同
じ物を食べると情報の共有は容易である。しかし、安くておいしいお買い得なメニューを見逃
す確率も増える。自己主張をしなければ自己の存在も危ういというのがその本質かもしれな
い。その本質に彼我の差はないのかもしれない。日本人も自己主張という点では欧米の方
向に向かっているようだ。