カフカ

2009/8/26

カフカ

短編小説の変身で知られている。薄い本ならばポッケットマネーで買える。分厚い本は金と

時間の点で手を出すのが難しかった。文芸書など尚更だ。若かりし頃の読書。実存主義など

が話題になりその流れで読んだのだろう。人間が虫になるという虚構を使っている。日本の

私小説というねちねちした小説は余り読む気がしなかった。小説も生まれたときの世間の風

潮を背負っているのかもしれない。そういう意味で私小説ももう一度読み直してみるのも良い

かも知れない。ともかく、長い小説も、短い小説も作者の表現したい事があるのであろう。そ

れを一言で言うとどうなるのかと能率論で考えてしまう。国語の作品観賞も試験問題ではワ

ンパターンであった。見る角度、読む角度で現れる表情が変わる。そういう多面的な意味を

発信している作品もあるような気もする。そのためには、具体性、可能性を削る。削ずられた

部分は想像で補う以外にない。俳句の句作に似る。要するに作品の鑑賞にはアンテナの向

きと性能、拾い上げた信号の解読能力が必要だ。別に、人まねで観賞する義務もない。とこ

ろで、変身も虫も翻訳されて原語が何に対応しているのか分からない。おそらく、変身の意味

には昆虫等の変態との連想も含まれていたのではないかとおもう。何回も挑戦したアシタバ

の苗作りに成功してそれをマルチ床に植えた。どの程度育ったのかと行ってみると葉がな

い。大きな虫がじっと葉脈だけが残った葉にしがみついている。青虫よりはるかに大きい。黄

アゲハの幼虫より大きい。芋虫より小さい。その形がなんとなく怖い。原始時代から刷り込ま

れた恐怖心か。仕方なく手でつまんで取り払った。つかむとぷりぷりと弾力がある。鱈腹食っ

たアシタバの葉がこの虫に変身した。掴まれると黄色い角をだして、エステル調の香気を放

って威嚇する。ゴム手袋でようやく実感したあの虫のぷりぷり感。世界の未開地では芋虫も

人間の栄養源であるらしい。この一見いやらしい、あわれな虫は黒アゲハの幼虫ではない

か。変身して優雅に飛び舞うあの黒アゲハ。カフカはその虫を見たか触ったか。