2009/8/25
第二芸術論
桑原武夫の第二芸術論は終戦直後に出版された(『世界』1946年)。その後、二十年後頃だ
ったと思う、戦後を作った作品として雑誌に再録されたのを読んだ記憶がある。どんな作品も
それが輝く時がある。その時が去るとかすかに記憶の片隅に宿り、ついに忘れられて行く。
その作品が発表された時は俳句界だけではなく、各界に衝撃を与えたらしい。確かに、語数
という作品とは直接的に関係のない制約と季語という制約を課す文学形式でどれ程独創性
を生み出せるか単純に考えると疑問が生じる。いつしか似通った作品が出来てしまう。芸術
は独創的ではければならないという命題を信じれば第二芸術論に共感してしまう。自分も若
かりし時は俳句や短歌はつまらぬ芸事だと思っていた。しかし、いざ作品を作ってみると世間
で秀作と見なされている作品に比べれば足元にも及ばない。ともかく厳しい条件を課して間
口を広げて、多くの人により作り出された多くの作品を評価・観賞するというルールは一種の
スポーツのようで明らかに存在価値はある。猿がキーボードを叩けば俳句らしい句が生まれ
る可能性がある。世界最高のユニークさのある作品とはある作家が人間の最長寿命まで連
綿と書き綴ったただ一つの超巨大作という事になるのは明らかだ。つまらぬ単語の羅列なら
ば猿の作品に劣る確率の方が大きいかも知れない。こういう作品も原理的には何億も存在
できる。第一芸術を隅に置いて、第二芸術を論じるのは片手落ちだったのかもしれない。坂
口安吾が第二芸術論に関して論考を書いているのをネットで読んだが、こちらがまっとうなよ
うに感じた。しかし、消沈、沈滞している状況をかき回し活を入れた功績は大きいのではない
か。虚を撃っても誰ものって来なければそこで終わりである。それを盛り上げた状況が当時
の日本にあったのだろう。ともかく、第一、一等、一級、となにやらそれを自認する人が、第
二云々を論じるのは何とも頂けない気もしないではない。真の偉大さはそのような枠や束縛
を取り払ったところにあるのだろう。