2009/9/8
古墳
今日まで残っている古墳は千数百年の歴史の波を乗り越えてきた。幼少時の記憶にも古墳
の姿が残る。しかし、それは雑木や茅が生えていた遊びの場としての里山としてである。その
一つの古墳のふもとにあばらやがあり老人が一人で住んでいた。記憶が定かではないが長
いあごひげがあり、周囲の雰囲気も含めて何か仙人のような感じがした。多分話しもせずお
互いに遠くから存在を認めあっただけだとおもう。終戦直後の事で家を失い縁故を頼って疎
開してきた人がいた。我が家の蚕室にも一時疎開してきた人が住んでいた。また、お堂に住
んでいた人もいた。いつとはなくそういう人々の事は忘れていたが、思い出してみるといつと
はなく居なくなっていた。仮住まいであったのであろうか。思うに我が家と言えども仮住まいか
もしれない。古墳からは土器やはにわが出土する。畑のなかにも時々それらの破片がある。
最近県の歴史博物館の埴輪展を見た。立派な埴輪が展示されていたが、古墳と埴輪の関係
がすっきり理解できないでいた。係りの女性に話をしたら担当の説明員を呼んできてくれた。
自分は古墳というのがその地域を支配した人物が死んでから支配者の埋葬施設として支配
者の後継者等が造営したものと思っていた。この疑問を尋ねた。実際はそうではないらしく、
その地域の支配を確立した人物はその時点から、即ち生前から自分の埋葬施設の建設を
始めるらしい。従って、埴輪は支配者が自分の死後の生活を豊かにするために引き連れて
行くものであった。当時の支配者すらこの世は仮住まいに過ぎないと確信し、死後の豊かな
生活を永遠に保証するためには支配権が確立しているときに頑強な古墳をつくり、そこに埴
輪や土器も埋納させる必要があったのだ。支配者の死亡は支配権の終焉である。古墳を強
力に守る後継者がいなくなれば古墳は暴かれる運命にあったのかもしれない。