2009/11/8
青田買い
経済の高度成長期に人材の確保が企業の重要課題であった。企業の人事担当者はいかに
優秀な人材を集めるかに苦労したのではないかと思う。青田買いとは卒業前の学生を就職
予約させる事で、今日では就職内定という事であろう。昭和35年の文部省次官通達による新
卒者の採用試験の解禁日は大卒で10月1日、高卒で11月1日以降と決められたが余り守ら
れなかったようだ。昭和44年3月に大卒理工系で6月1日、文科系系で7月1日、高卒で8月1
日以降と繰り上げたが、これも空文化したとの事である。求人活動がエスカレートしていたの
である。昭和45年の高卒就職希望者の70万7000人に対して求人倍率の推計は約6倍であ
ったとある。今日の高卒就職希望者にとって夢のような時代であった。今思うと、自分もこの
ような時代に社会に巣立っていった訳である。当時は就職活動と言っても今日ほど厳しくなく
おおらかなものであったと思う。求人が掲示板に張り出されたりして、就職担当の先生と相談
して決めたように思う。企業側も求人数を学校側に通知してその企業の人事政策に従って採
用を決めたのではないかと思う。当然、企業の求人数を就職希望者数が上回われば何らか
の調整が行われることになる。自分も都市部の企業に就職希望を出したが希望者が重複し
てしまった。就職担当の先生は、君の場合はこちらの方が良いのではないかとあっさり別の
企業への就職が決まってしまった。就職では会社はある程度自分で選べるが、その後の仕
事と上司は選べない。しかし、今振り返って見ると会社も仕事も上司も何となくマッチングして
いたようでもある。