2009/11/9
造反有理
1968年8月、中国の文化大革命に際し、毛沢東が言ったという革命無罪、造反有理という言
葉があり、それが日本でも広がったようだ。造反有理の前に革命無罪という言葉があったの
は、今知ったばかりである。中国の偉大な指導者毛沢東がかく言うのであれば、それを行動
で現しても何ら正義に背く事はなかろうと一般大衆は信じた事であろう。文化大革命の実態
にはいくつもの側面があるので、文化大革命全体の歴史的な評価には相当な期間と相当な
労力がかかるであろう。造反有理も意味の広い言葉であろう。<反>はひっくり返す事、裏
返し、こっちに対してあっち、YESに対してNOという意味だろう。<造>は意識的に作る、や
らかすという意味にとれるだろう。<有理>とは理由がある。当時の大学紛争の本当の原因
が何であったのか、自分はいまだはっきり理解できないで居るが、造反有理という言葉に関
係するのも確かだろう。自分たちがNOと言うのには理由があるのだ。しかし、何がNOなの
か。終戦後20年余も経ると社会は安定に向かった。しかし、泥水をかき回したような戦争は
社会のしがらみを分解し、人間を裸のヒトにしてしまった側面もあったと思う。そこにはまた人
間らしい自由、開放感があったと思われる。その一粒毎の泥が沈殿して新しい社会が現れ
そうになった時に、これはおかしいという意識も同時に生じたのではないか。何かはっきり見
えないが許し難い何者かが現れそうになり、それにNOを投げつけたのが当時の世界的な若
者の運動であったのではないか。当時のあの勇ましい造反有理というかけ声が完全に過去
のものになってしまったのか。