2009/11/27
借り物の返済
子供の世界ではビー玉やメンコがやりとりされていた。その数は精々ズボンのポケットに入る
程度である。友達と遊んで少しポケットがふくれると何となく幸せな感じになった。ビー玉やメ
ンコは子供のコレクションでもあり、財物でもあった。大抵のゲームは手持ちの財産がゼロに
なるまでやらない内に飽きて終わってしまったと思う。ともかく相手の数と自分の数を合わせ
れば一定で不変である。ゼロサムの世界である。手持ちの財産が無くなった事を知るのは子
供がてらにゼロの発見にも通じるのだろう。手持ちの財産を全て相手に渡してしまえば倒産
と同じでその先がない。そこで相手からその財産を借りてゲームを続ける事もできる。ここ
に、新しい関係が生じる。結局借財は数字の上ではマイナスの数という概念に通じていたよ
うだ。マイナスの数を持ち込んでもゲームの世界ではゼロサムに変わりはない。しかし、現実
の人間の行為と言う点では勝ち負けという因果関係が生じてしまう。結局ゲームが終わった
時の精算が問題になる。リーマンショックも貸し借りの関係で実態以上に取引金額が膨らん
で、そのゲームのルールがどこかおかしいと気付かれたときに発生したのであろう。ゲーム
の参加者が余りにも多く、その金額も巨大であり、一人一人のゲーマーもそのゲームの構造
を理解できなかった。結局多くの人々がマイナスというジョーカー(ババ)を掴まされて、わず
かの人々が潤った。ある時、それも相当以前の事であるが、福田赳夫の幼少時代の逸話を
ラジオか何かで聞いた覚えがある。福田赳夫は少年時代ランプのほやを掃除する仕事を言
いつけられていたとの事である。ところが、福田赳夫少年はこの仕事が余り好きではなかっ
たらしい。くだんの如くビー玉やメンコで勝った時、福田赳夫少年はそれを負けた少年に分け
与えて、代わりにランプのほやを掃除させたという事であった。こうすれば、また同じ遊びが
できる。この話にはうーんと唸ってしまった。確かに並の少年を越えていたのであろう。