2009/12/29
痛み
人間誰しも大きな痛みを体験したことがあると思う。何らかの慢性的な痛みを抱えている人も
多い。その痛みが極大に達したときにショックで気を失ったりするのであろうか。痛みが生体
の防御機構である限り、痛覚を失うと生存を脅かす方向に行動が進む。逆に、行動を矯正す
る為に痛みが利用される。刑罰、体罰はその例であろう。ところが、戦争で手足を失った人
が、その手足が痛いと訴えることがある事を本で読んだ事がある。痛みが、記憶と関係して
いることもあるようだ。卑近な例では、胃を全摘した人が、胃が痛いと言ったという話を聞い
たことがある。ともかく痛みの基本は痛みの原因になる刺激や物質があり、それを細胞が感
知し、その信号を脳に送る事により感じるというメカニズムがある。しかし、痛みのデータを定
量的に測定する事が可能なのか。採血時に注射針を刺される痛みはほとんどの人が体験し
ているであろう。この時に痛さは、自分の緊張度とか採血者の技量により変わるような印象
がある。会社に入社したての頃、スキーで転倒して肩を打ち外傷は無かった、痛みが長期間
残った。身体には大きな痛みを感じた傷跡もいくつかある。しかしその怪我をした時の状況
の記憶は薄れつつある。結局、痛みは目先の危機に対策できればその大きな目的は達した
事になるのであろう。記憶にインプットしておくのは一種の学習効果で、再発への対処を狙っ
たものなのかもしれない。もはや、その学習効果も不要になればその記憶を捨てても生体に
とっては未練はないのかもしれない。逆に痛みを感じる程度に応じて活力がある証拠ではな
いか。もう一度自分の痛みが発信しているメッセージを解読してみたい。