2009/12/12
心臓移植
人間の生命観、死生観は時代と共に変わって行くのかもしれない。自分の命を自分はどのよ
うに感じ、どのように理解するかも時々に変化しているように思われる。人間の生死を司る心
臓疾患の治療は医学の大きな目標の一つであったと思う。自分が青年時代に入る約40年前
に日本で初めての心臓移植手術が行われた。以下に心臓移植に関するWIKIPEDIAの記事
を要約すると、
○ヒトへの最初の心臓移植の試み:1964年にミシシッピー大学病院のジェームズ・ハーディ
によってチンパンジーの心臓を移植。移植した心臓が90分しか鼓動せず、失敗に終わった。
○世界初のヒトからヒトへの心臓移植:1967年12月3日に南アフリカのケープタウンでクリス
チャン・バーナードによって行われた。世界初の移植を受けた患者は移植18日後に免疫抑
制剤の副作用による肺炎で死亡した。バーナードは翌年にも移植手術を実施し、この時には
患者を19ヶ月延命させることに成功した。
○1968年8月8日に日本で初めての心臓移植が、札幌医科大学で実施された(和田心臓移
植事件)。日本初、世界で30例目となる。 手術後83日目の10月29日に食後に痰を詰まらせ
長時間にわたる蘇生術の甲斐もなく呼吸不全で死亡したと医師団により発表された。
○2006年現在で世界中で30年間に4万6千例以上が行われている。
○1999年に日本国内で3人が移植を受ける。30年あまりを経て2回目の心臓移植が実施された。
ともかく、最初の心臓移植が行われてから次の移植が行われる期間が短かったといいう事
は、心臓移植を行う環境が揃ってきたという事であったのか。日本における心臓移植の件数
はデータを見ると極少ない。日本初の心臓移植が不幸な結果に終わった事のトラウマがまだ
残っているということなのであろうか。
一方では、「心臓発作で破壊された組織の一部を、結合組織細胞から誘導された幹細胞を
使って修復することに成功したと、米ミネソタ(Minnesota)州のメイヨークリニック(Mayo
Clinic)の研究チームが20日発行の学術誌「Circulation」に発表した。」と伝えられた。iPS細
胞を使った再生医療も現実性が高まってきた。「同じ成人の皮膚組織を培養の“足場”として
使い、新型万能細胞(iPS細胞)を作製することに京都大の山中伸弥教授のチームが成功
し、米科学誌プロスワン電子版に2日発表した(2009/12/02 11:50 【共同通信】)。」
更に一方では、
「<川崎協同病院事件>医師の有罪確定へ 最高裁が上告棄却
12月9日11時40分配信 毎日新聞
川崎協同病院(川崎市)で98年、気管支ぜんそくの発作で意識不明状態だった男性患者
(当時58歳)の気管内チューブを抜き、筋弛緩(しかん)剤を投与して死なせたとして、殺人
罪に問われた元同病院医師、須田セツ子被告(55)の上告審で、最高裁第3小法廷(田原
睦夫裁判長)は7日付で被告側の上告を棄却する決定を出した。殺人罪の成立を認め懲役
1年6月、執行猶予3年とした2審・東京高裁判決(07年2月)が確定する。
終末期医療を巡り医師が刑事責任を問われた事件で、最高裁が判断を示すのは初めて。」
と報じられた。
ともかく、医療を受ける受けない等に全て個人の自己決定の原則を適用する事は困難であ
ろう。また、医療が進歩する為には新しい技術等に挑戦する必要もある。結果が不調で殺人
罪に問われるようではリスクに挑戦する意欲も萎えてしまう。今思うと、40年前の心臓移植手
術すら軽々に判断できない悩ましい問題であり続けているようだ。「1968年12月、和田心臓
移植は大阪の漢方医らによってついに刑事告発される。1970年夏に捜査が終了し、告発さ
れた殺人罪、業務上過失致死罪、死体損壊罪のすべてで嫌疑不十分で不起訴となった。
(WIKIPEDIA)」もし、この刑事告発で白黒の判決が出されていたら、日本の医療は氷河期
に入ってしまっていたか、それともより進歩していたのか。医療を施す側も医療を受ける側も
大きなジレンマに挟まれて身動きできなかったのが今日の結果なのか。