ヒイラギナンテン

2009/12/4

ヒイラギナンテン

単身赴任をしていた時の宿舎であった会社の社宅の生活は単調であった。何人か職場の同

僚もいたが余り親密なつき合いはなかった。一度、宴会があるから来ないかとお呼びがかか

った。その時は有り難く呼ばれていった。冷蔵庫やレンジを持っていったがほとんど使わずに

持ち帰った。自炊をすればできる環境にあったが、ほとんど外食等で済ませた。社宅に帰っ

ても話す相手もいない。ともかく単調なのは、生き物がいないということに気付いた。生き物

がいれば変化を確認できる。ということは自分も生きているという事を生き物を通して感じる

ができる。そんな訳で、水栽培で水を吸わせたティッシュペーパーの上に野菜の種を播いた

り、ニンジンの頭の部分を水を入れた容器の中で育てたりした。そのような、生き物でも自分

が手をかけて生きている事を見ていると何となく精神が安定した。単身の社宅から自宅に帰

るのが出張であり、何か生活が逆転していた。要するに、身分も駐在先の居候という身分

で、そこから派遣元の職場に仕事に行く出張に抱き合わせで帰宅していた。これが単身赴任

の楽しみであった。しかし、夏場の長期出張の時は、例の野菜類の水栽培の水も蒸発してか

らからになって、野菜も枯死していた。そんな、単調な生活を送ってきた社宅ではあったが、

そこを出る時が来た。その社宅の小さな庭にヒイラギナンテンが植えられており、実を付けて

いた。これを持ち帰り種を播いたら、今日では数本育って大きくなっている。そのヒイラギナン

テンも行き場所が無く、あちこちに分散している。ともかくその木の由来を知っているのは自

分だけであろうと妙な感傷に浸る事がある。