2010/1/23
コピペ
Google検索: コピペ検出ソフト に一致する日本語のページ 約 164,000 件中 1 - 100 件目 (0.38 秒) 。
最近はコピペの弊害が指摘されており、それを検出するソフトも開発されているようだ。しか
し、複製・それに準ずる現象をこの世から抹消したら何も残らないようにも思われる。技術が
コピペを容易にしたので弊害が目立つようになったのだろう。自分にとって広義のコピーとい
うのは非常に重要に思える。「ぺ:PASTE」というという行為も新しいものを生み出す行為の
一つのように思われる。文章を作るには総合的な力量が必要とされる。国語に関する授業
は学校教育の要である。しかし、文章表現の訓練は意外に少なかったように思う。試験も文
章を作成させる問題は少ない。テーマを具体的に限定せずに作成者に任せる問題になると
更に少ないだろう。そのようになるのは採点や評価の都合なのだろうか。コピペが問題にな
るのは、コピペが使える環境にある人間に課したレポートの作成等であろう。コピペも情報操
作能力の一つではある。問題は人物の何を評価しようとするかという評価者の意図であろ
う。インターネット上の情報を利用できる事も能力の一つではあろう。レポート作成も別の能
力の一つであろう。文章をパソコンで作成するのもまた別の能力である。学生等のレポート
作成において、インターネットからのコピペを嘆くなら、インターネットが利用出来る部屋に缶
詰にしてインターネットの使用は許すが、文章作成は別のインターネットに接続していないパ
ソコンでさせれば良いのではないか。しかし、識者のグチはくせ者で自分を引き立てるために
言っている可能性もあるので要注意だ。マッチポンプの場合もある。自分にその作品を評価
できる能力があればコピペも見破れるだろうし、コピペがあってもその作品の評価を落とす
使い方ではなくその逆の場合もある。最終的には作者と作品を対応づけて評価する事が重
要だろう。基本的にはこういう部分が軽視されるから学生のレポート等にコピペもがはやるの
ではないか。作者と面接して作品を評価すると宣言すればコピペは半減するかもしれない。
要は評価側も評価される側も手間とコストを掛けたくないと言う本音があり、なれあいになり
やすいと思われる。ところで、Googleは第三者のホームページ情報を丸ごとコピーしてそれ
をキャッシュとして公開している例がある。本家の情報は削除されているが、ここにコピーが
残っていて便利な場合がある。しかし、情報の表現者が問題を意識して削除した場合、それ
がキャッシュとして第三者により公開され続けるとしたら不都合を感じるのではないか。これ
は著作権の侵害にならないのだろうか。