2010/1/24

禅の神髄は不立文字ということで言葉より実践を重んじるようである。目前の小さな悩みから

人生の覚りまで禅に関係する事は多々ある。自分も一時期、禅に興味をもった事があった。

具体的にいつ頃のことかはっきり覚えていないが、漠然とした不安や悩み事があった頃かも

しれない。座禅も組んだ。一方ではヨガの本も読んだ。呼吸法というのもあり、その関連書も

読んだ記憶がある。結局長続きはしなかった。しかし、無心になるという訓練も、時には上司

のお叱りを受けるとき等は役にたったのではないかと思う。最近、あるひとから、青い物を見

ると気が滅入るよなう一種のノイローゼ状態になり、禅寺で座禅をしようと出かけた時の話を

聞いた。その発端が、菜っぱに付いている青虫が蝶になるのであるが、そのような状況が自

分の心理状況に全く合わなかった。その青虫と青い物が結びついてしまったようだ。駅で下

車すると、同じ寺に向かう人がいて、タクシーで行くので一緒に行かないかと声を掛けてくれ

たとの事であった。いざ、寺に着いてみると、講演があり、同乗者が有名な学者であり、

講演も素晴らしかったが、座禅をして警策で打たれるとはっと1mも飛び上がったような感じ

がして悩み事はすっかり無くなってしまったとのことである。眼前に見えた青い物が、何かの

不安の象徴であったのかもしれない。それが、一瞬にして消えるという事は啓示を受けたと

いう事だろうとかみさんの一言。どうして現在の道を進む事にしたのかを聞いたときの話であ

った。何か大きな物を押し上げようとしているが、最後の土壇場で立ちすくんでいる場合は結

構多い。決心、決断、悩み事も同じかもしれない。いま一歩まで熟しても最後のトリガーがか

からないので押しつぶされる場合もあるだろう。困った時の読書で、相手を代えろというのが

あった。心理の無限ループを断ち切ることも大切なようだ。それ自体が最後の一押しなのか

もしれない。