身体髪膚:いとしきもの

2010/2/20

身体髪膚

身体髪膚これを父母に受く。年齢を重ねるとあなたは父親にそっくりだといわれる事がある。

同じ事を身内の者から言われると返答に窮してしまう。確かに、顔や風貌が似てくるのは

DNAのつながりで否定できない。しかし、しぐさや性格も似てきたとなると自分もそうかなーと

思わざるをえない。身体髪膚これを父母に受くという言葉は小学校の男性教師が教えてくれ

た。女性教師はこういう言葉を教えたがるのだろうか。女性から見ると産んだ子供は99%位

私のものよという意識ならば、父親の存在感は乏しくなり、身体髪膚これを父母に受くと言葉

が出にくくなるのではないか。ともかく幼少時に得難い教育を受けていたのかも知れない。出

典は孝経にあり、「~あえて毀傷せざるは孝の始めなり(身体髪膚、受之父母、不敢毀傷、

孝之始也)」と続くらしい。たぶん、その先生は皆の身体は父母から受け継いだのだから大

切にしなさいとさとしたのかもしれない。当時としては、昔の修身のようで、進歩的な先生にと

っては言いにくかった言葉かもしれない。学校の先生にはいろいろ幅広い先生がいて欲しい

と思うのは自分だけではないだろう。ところで、「あえて毀傷せざる」とは何を意味するのだろ

うか。身体髪膚を傷つけ損なうような場面・事態になってもそういうことをしないように踏みとど

まると言うことであろう。最大の身体の毀傷と言えば死に至る事故や自殺もそれに該当する

だろう。死んでしまいたいと誰でも思った事はあろう。しかし、大抵はその思いは何かの不安

を呼び起こし、その対策を自分でやれよという前向きのサインと受け止める事ができるので

はないか。意識に現れた死にたいという願望が増幅され正帰還状態になるとそれが押さえら

れなくなるのではないか。そんなときに、身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の

始めなりという言葉を思い出せば、ふとした迷いをうち消し、救いになる場合もあるのではな

いか。「身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕はすは、孝の終りなり。」と続くら

しい。確かに、こういう価値観はどこかで現在も続いているだろう。凡人は別だが、政治家に

はその期待やチャンスもあるだろう。しかし、今日はどこかにブラックホールができてしまった

ようだ。やはり、第一ステップ、第二ステップでつまづいてしまうのではないか。自分を大切に

することは当然他人を大切にすることに通じてゆくべきだろうが。