2010/2/5
知力の時代
昔の農民は俵一俵ぐらいはかつげる必要があったようだ。今、自分にその体力があるだろう
か。父が入院中、痛みを紛らわせるため手をさすってやっていた時、改めて手のごつさを感
じた。長い間の農業という仕事は体格までその仕事に合うように改造するものなのかもしれ
ない。近代工業は人間の機能の体力・筋力等の辛い労働を置き換える機械装置を生み出し
て、普及させた。順序から言えばその初期の頃はまだ労力を使う事もあったろうが、その範
囲も狭くなった。労働者も自分の体力ではなく、機械装置を操縦するという仕事に労力を提
供する事になる。体力は労働以外のスポーツ等の分野で使う意外に無くなった。体力の時代
から知力の時代に様変わりした。労働の形態としては体力+知力がバランスしていて、総合
的に人間の能力を発揮できるのが理想であろう。かつての会社では最初の頃の派遣社員は
女性で秘書や受付というような業務を担当していたと思う。時には、英文契約書の翻訳等を
頼んだ事があった。この職種は明らかに専門能力型になるだろう。労働者派遣は、1985年
の労働者派遣法制定時は、原則禁止で限定された職種のみで可能であったので、従業員の
ほとんどが派遣ではなかったと思う。その後、1999年改正、2003年改正と制度の規制緩和
が行われて、設計業務にも派遣労働者が進出してきた。自分の職場では派遣社員が回路設
計の一部を行っていた。そうして、派遣労働者の比率も上昇した。労働の成果を分け合うと
いう経済の基本原則から見ると、派遣業者もその成果の分け前を取るのだから、派遣労働
者のパイの配分は少なくなる。職制という経営管理の側面からも複雑性が持ち込まれたのも
事実であろう。しかし、余り表面化しないが深刻な問題は人間関係にあったのではないかと
思う。日本人は組織帰属型のメンタリティを持つ。同じ様な仕事を同じ場所でしていて、別の
組織に所属し、規律や賃金に相違がある。瞬間的にはうまく行っているかもしれないが、そ
のような状況が長期化するとどうなるのか。経済のグローバル化が進み、製造業も製造拠点
を海外に求めた。中には単なる製造ではなく知的作業が中心となる設計業務も海外で行うよ
うになった。所が、現地社員を採用して教育しても、技術を習得してしまうと更に条件の良い
企業に移動してしまうという話を聞いたことがある。知的能力は個人の資質や努力に負うとこ
ろも多いのである。派遣労働者は正規社員よりも労務を提供する会社への帰属意識は低い
だろう。まして、所属する派遣会社への帰属意識は低いのではないか。派遣社員が相対的
に増えれば、派遣社員を使う会社の正規社員は相対的に減少する。会社は少数精鋭の技
術者を育成すれば済むかも知れないが、それが継続的に可能なのか。技術者の資質・能力
も相当なスペクトル幅を持つ。技術への対応が遅れる毎に企業の活力が低減し衰退に向か
う懸念も無しとは言えないだろう。それが、日本全体の流れであるならば薄ら寒さを覚える。
一方、派遣社員は一般企業の正規社員以上に幅広い仕事をするチャンスに事欠かないであ
ろう。見方によれば、派遣先が金を払って専門教育をしてくれるような場合もあるかもしれな
い。そうして、派遣社員の能力が並の正規社員の能力を数段上回れば、新しい局面が開か
れるのでは無いか。知力の時代は技術者が会社を選ぶ時代の先駆けかもしれない。今、こ
こまで書いた内容をレビューすると用語の曖昧さに気付く。社員を英訳するとemployeeであ
り、被雇用者である。派遣社員も正規社員も被雇用者で労働者という身分なのである。あい
まいさは日本の伝統的な知恵なのかもしれないが、もたれあいを許し、不満を内向化させて
しまう。本当の知力とは何だろうか。