方丈記切読14:いとしきもの

20103/15

方丈記切読14

「又おなじ年の六月の頃、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外なりし事なり。大かたこの京のはじめを聞けば、嵯峨の天皇の御時、都とさだまりにけるより後、既に數百歳を經たり。異なるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人、たやすからずうれへあへるさま、ことわりにも過ぎたり。されどとかくいふかひなくて、みかどよりはじめ奉りて、大臣公卿ことごとく攝津國難波の京に(八字イ無)うつり給ひぬ。世に仕ふるほどの人、誰かひとりふるさとに殘り居らむ。官位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりとも、とくうつらむとはげみあへり。時を失ひ世にあまされて、ごする所なきものは、愁へながらとまり居れり。軒を爭ひし人のすまひ、日を經つゝあれ行く。家はこぼたれて淀川に浮び、地は目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、たゞ馬鞍をのみ重くす。牛車を用とする人なし。西南海の所領をのみ願ひ、東北國の庄園をば好まず。」

予想外の遷都で、これもいつでも巡り合わせできない事象だろう。天皇の一言で、大臣公卿

は率先して従う。役人の気概の無さは今も昔も変わらないのか。移れずに、残されたものは

旧都の落ちぶれる姿と自分の姿を重ねる。かつて、首都移転論が盛んであった時があった。

十年に一度位で首都を移せばスリムで機能的な国が生まれるのではないか。地方分権など

余り意味がなくなるかも知れない。方丈首都。全国一巡で数百年かかるが、内需を喚起し

て、分散処理が徹底する。戦争、自然災害等のリスク対策でも、都市機能分散は有効だ。思

うに、革新的な首都移転が千年も前に行われた事を知るだけでも意義があるだろう。