方丈記切読16:いとしきもの

2010/3/17

方丈記切読16
                                                                                       
「又あはれなること侍りき。さりがたき女男など持ちたるものは、その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりてなり。されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にける。又(父イ)母が命つきて臥せるをもしらずして、いとけなき子のその乳房に吸ひつきつゝ、ふせるなどもありけり。仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ、かずしらず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。その人數を知らむとて、四五兩月がほどかぞへたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百あまりなむありける。いはむやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、にしの京、もろもろの邊地などをくはへていはゞ際限もあるべからず。いかにいはむや、諸國七道をや。近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かゝるためしはありけると聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいとめづらかに、かなしかりしことなり。』」

いかに死すべきか。ここにその例がある。深い思いのある者は相手に先立って死ぬ。要する

に手にした食料を相手に譲るのである。自分の命を相手に託すという事であろう。父子の場

合は子を残して親が先に死ぬ。これは生物界の掟であろうか。極限の倫理。餓死者を成仏さ

せるため阿字を額に書いて供養した仁和寺慈尊院の大藏卿隆曉法印という高僧もいたよう

だ。せめてものなぐさめ。餓死者数が具体的数字で調べられているのにも興味がある。広い

範囲と期間をとればその数は際限ないとまで言っている。こういう飢饉が何度かあったと聞い

ていると書いているが、実際はどんな様子だったのか。ともかく方丈記は単なる随筆ではな

いであろ。鴨長明覚え書きでもあるだろう。エンジニアとしてシステムの信頼性という問題にも

無関係ではなかった。数㎜四方の集積回路チップの中にも弱い部分と強い部分がある。そ

こに静電気等のストレスが加わると弱い部分から壊れて行く。壊れた所が弱かったのではな

いかとも考えられる。しかし、同じ実験を繰り返しても同じ傾向が繰り返されるということから、

システム上の弱い部分は推定できる。弱い部分があれば、実用上問題が無いように対策を

施す。社会システムにも同じ事が言えるようでもある。飢饉でも幼老が先に死んで行くのであ

ろうか。長明さんは幸い、生き残って方丈記を残した。社会システムの安全地帯に居たという

ことなのか。