方丈記切読17:いとしきもの

2010/3/18

バグなのか改行で一字分の行間の確保が出来ない。読みにくい。br要素で、改行を入れることができます。ということらしい。<br>をコピーしてHTMLで編集。確かに改行するが大変。


方丈記切読17
                                                                                       
「また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ。おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。』」

「おほなゐ(地震) ふる(振る)」。古語で死語になっている。電子辞書で調べた。最初の三文
字入れて探す。これをエディターに取り込む。ともかく、古語も使われて生きてくる。誰もが経
験しない大地震の様子が記録されている。前半部は地震時の大域的な状況を記述してい
る。専門家はこの記録から大体の震度を推定できるだろう。「地のふるひ家のやぶるゝ音、
いかづちにことならず。」とぐらぐらと大きな音を立ててゆれているのでその大きさが伝わって
くる。「おそれの中に おそるべかりけるは、たゞ地震なりける と ぞ 覺え侍りし。」意味が
良く分からない。ここでは「地震」という語を使っている。どんな恐怖であろうと、地震ほど恐ろ
しいものはないと実感したという事だろうか。身近では、遊んでいる子供が崩れた物に埋まっ
てしまい父母がおろおろしている姿も書かれている。余震が終息して行く様子もかなり正確に
記されている。伝えによる昔の地震の記憶も残っているが今回の大地震には到底及ばない
と述べている。大地震も時が経てしまうとそれを言い伝える人もいなくなってしまう。ともかく、
長明さんは自分が体験した大地震を記録に残した。四大種とは仏教で言う地水火風の事。
水火風の異変は日常的に起こるが地変(大地震)は希である。ほぼ八百年前の地震であり、
当時と比較すれば今日の地震の被害の可能性は格段に高くなっている。鉄筋建築も百年単
位で考えると確実に老朽化が進み耐震力も低下するだろう。人口も国力も低減した時に大
地震が直撃した場合を考えると長明さんでなくともこの世のはかなさを感じてしまうであろう。
地震による廃墟から復興できず、廃墟のままとなる姿には耐えられない。